Berridge, Edward W.
エドワード・ベリッジ
(c.1843-1920)

魔法名 Resurgam (5=6,G.D.)


☆ 「黄金の夜明け」団の中心人物の一人。1894-6年のアニー・ホーニマンの喧嘩相手。後のA.O.の首領。
 1867年、ロンドンの聖バーソロミュー病院にて医学を学び、1867年に資格を得る。後に渡米して同種療法を学び、この方面の医師としても活動を始めている。この時期にハリスの性的教義に興味を覚えたようである。

 「黄金の夜明け」団参入は1889年5月のことであり、極めて熱心な団員であった。団内で最初に Th.A.M.に昇進していおり、魔術の実践面に精通していたといえる。ベリッジは魔術の専門書など残しはしなかったが、『飛翔する巻物』第5巻
1を執筆している。その記述から察するに、ベリッジは「黄金の夜明け」団参入以前からオカルト的医療行為を行っていて、「動物磁気」関係に詳しかったようである。またアンナ・キングスフォードのヘルメス協会の集会にも顔を見せている。占星術にも造詣が深かったとされる。

 ベリッジが団史の全面に出て来るのは1894年前後、彼がハリスの布教キャンペーンを団内で始めたことから始まる。その内容は四大精霊と人間の性的関係論を主としていたが、これにホーニマンを中心とした団幹部が眉をしかめ、彼の行動を規制するようにマサースに訴えている。これに対してマサースは何の手も打たず、逆にホーニマンを叱責するなど、不可解な点が多い。また、ベリッジがハリス・キャンペーンに当たってマサース認可を吹聴するなど、マサースのハリス或は類似した教義への傾倒という可能性も考えられる。

 ベリッジ対ホーニマンの喧嘩はやがてホーニマン対マサースの喧嘩に発展し、1896年12月のホーニマン追放という結果を招いてしまった。それでもベリッジはやはり団内での評判は芳しくなく、1900年4月にはマサースと一緒に団から追放されている。その後はマサースと共同してA.O.派を組織して独自の活動を続けている。この組織の本部はポートランド・ロードに存在し、1920年代まで存続したという。

 1920年5月13日、ロンドンにて死去。

 ベリッジのトマス・レイク・ハリスへの傾倒はGDへのそれよりも深く、”レスピロ”の筆名で多数のハリス布教用小冊子を執筆・出版している。なお、レスピロの正体を C.M. ベリッジとする説もあるが、これはゴシック文字で記されたE.WをC.M.と誤読した結果と推測される。

  1. King (ed.), Astral Projection, Magic and Alchemy(London: Neville Spearman, 1971) pp. 33-38.

主要著作 Complete Repertory to the Homoeopathic Materia Medica, 1869.

as "Respiro"
Internal Respiration; or the Planetary Gift of the Holy Spirit.
The Impending World-Crisis; or, the Predicted Fire-Deluge.
The Divine Incarnation; or, the Supreme Divinity of the Lord Jesus.
The Second Advent; or, the Personal Return of the Lord Jesus
The Man, the Seer, the Adept, the Avatar; or T.L. Harris, ie, Inspired Messenger of the Cycle
.

all from E.W. Allen, London, by 1897.

参考文献 Howe, Ellic: The Magicians of the Golden Dawn, RKP, London, 1972


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