今昔タロット入手事情

 現在世界中で何種類のタロットが発売されているのか、小生には想像もつかない。おそらく毎年、世界中で数百種類の新作が生まれ、その多くは数年にして忘却の彼方に沈むのであろう。一般購入者は目移りで悩むことはあっても、入手で苦労することはないと思われる。この一文をお読みのネット逍遥子であれば、クリックひとつで通販サイトにたどり着くであろう。

 さような現状は各人周知なのであって、今回のテーマは19世紀のタロット購入事情である。調べるに、みなさまそれぞれ苦労があったようで。

 まず大御所に登場願おう。1861年、エリファス・レヴィが新弟子のスペダリエリ男爵に宛てた書簡に次のような一節がある。


「21文字の鍵と4組の数字列を理解するには、古いイタリアン・タロットを入手する必要がある。マルセイユでなら容易に見つかるであろう。入手なされたならご一報願いたい。使用法をお教えする」
Eliphas Levi, Letters to a Disciple (Wellingborough, Northamptonshire: Aquarian Press, 1980) p.14


男爵はタロットを入手できなかったらしく、レヴィは次の書簡にて「貴殿のためにタロットを都合してお送りする」と記している。

 ここで注目すべきは「古いイタリアン・タロット」というこだわりである。このあたりの事情は、やや時代が下がるがマグレガー・マサースが説明してくれる。


「タロットにはイタリア製、スペイン製、ドイツ製があり、エッティラ以降フランス製もあるが、フランス製はエッティラが象徴体系を改変したためにオカルト研究には向いていない。占術およびオカルト実践目的にはイタリア製が決定的にベストであり、ゆえにわたしはこの小論のベースとしてイタリア製を用いる。不幸なことに昔ながらのシングルヘッド版は昨今すたれており、現在製造されているのはダブルヘッド版だけである」
Mathers, The Tarot ((London: George Redway: 1888),p.6.


 すなわち19世紀にあって、タロットは賭博用のダブルヘッドが主流であったのだ。考えてみればこれは当然なのであって、魔術と賭博、どちらが人気があるかという問題である。この状況下にあっては、オカルト研究者は余分な出費を強いられることもままあったと思われる。

 たとえば1880年代、英国はエイヴォンのバスという小都市にロバート・H・フライヤという小さなオカルト古書店があり、ここではオカルト希書の復刻や小規模出版も行っていた。ウェストコットの『ベンバイン・タブレット』(1887)もこの書店が版元であり、その巻末に掲載された広告に「タロット・パック、78枚、手彩色、受注製作」とある。値段が書いてないところが怖いし、同じ広告にある他の書物はどれも平均10シリング6ペンスすなわち半ギニーと結構なお値段である。タロットのほうも決して安くはなかっただろう。

 さらに英国の魔術関係者とりわけ「黄金の夜明け」団を悩ませることになったのが、1889年パピュスの『ボヘミアン・タロット』の発表である。同書に収録されたタロットはマルセイユ版をレヴィの記述に基づいて改良した“オカルト専用デッキ”いわゆる「オズワルド・ウィルト版」であった。このデッキはウィルト著『トートの書−スタニスラス・ド・ガイタ監修による大アルカナ22枚のタロット』(1889)100部限定、箱入り手彩色カード付きという形で入手できたが、なにせカード自体に「アレフ=魔術師」シリーズのヘブル文字配属がしっかり印刷されている。「アレフ=愚者」シリーズで教義展開する「黄金の夜明け」団にしてみれば、本家フランスの主張だけに積極的に反論もできず、仲間内に配布する文書にて「レヴィは正しい配属を知っていたが秘密の誓いによって縛られていたので、世間へは虚偽の情報を伝えた」と言い訳する始末であった。

 しかも『ボヘミアン・タロット』にはマサースのパンフレットへの言及もあり、いわく「オリジナルな部分はほとんどなく、この方面の主要作家の要約にすぎない。カード占いの手引き書どまり」と軽く扱われている。1890年代、英仏オカルト関係者のあいだには、ドーヴァーを挟んだ「タロット冷戦」とでも称するべき状況が展開されていたのである。

 「黄金の夜明け」団としては、オカルト専用のシングルヘッド・タロットが登場したにもかかわらず、その購入を積極的に推奨できないのであった。団員はそれぞれ古いイタリアンを求めて右往左往するしかなかった。このような事情が団オリジナルのタロットの製作に結びつくのであろう。そしてオリジナルを「正しい意匠」ないし「古い形式」として紹介するあたり、伝統を重視する英国人の楽しくも滑稽かつ深刻な気質が見てとれるのである。

 ちなみに19世紀後半、裏タロットとおぼしきものも作られていたらしい。A・E・ウェイトの自伝『走馬灯』にいわく


エリファス・レヴィによれば、かれが生きた時代は「万物が放し飼いの破廉恥を求めて低きに流れた時期」であったという。万物は倒錯した意思のもとでは道を外れること甚だしいのである。黒ミサはその一例であるが、近代の偽古文書は冒涜に満ちた愚行でしかない。タロット・カードにも同様の例が見うけられる。中世悪魔崇拝の如き象徴体系を有する所謂「ジューイッシュ・パック」なるものが存在するのである。
Waite, Shadows of Life and Thought (London: Selwyn and Blount)p.185.




 果たしてこの「ジューイッシュ・パック」はいかなるものか、それはいずれ稿を改めて考察したい。



戻る