アンナ・キングスフォードのカバラ 1

2月24日 [1884] −− 幕屋のうちにある至聖所は大ピラミッドの王の間に照応し、贖罪所 Mercy-Seat は棺箱 the Coffer に照応する。となれば、至聖所も王の間も最終摂理とキリストの支配をあらわす。換言すれば、すなわち神の王国である。贖罪所と棺箱はキリストの本質、その身の丈と十全さをあらわす。そして慈悲という言葉は、自然の基盤と最大の特徴があらゆる生物への慈悲であることを示す。

 王の間に入ることになるのは第四世代であろう。されば解釈の福音があきらかになろう、「見よ、わたしはすべてを新しくするであろう」。第四世代は「王の娘、黄金にて織られし衣をまとい、内側の栄光に包まれる」。いまだ暗いうちから墓所に現れたマグダラのマリア、そして控えの間にて王を待つエステル、ともに地上の神の王国が登場する直前の時刻をあらわしている。ふたりは「新たな教会によき知らせの香油をもたらす」と言われる女たちである−−マリアが夜明け前に墓所に甘い香りをもたらしたように。しかしマリアもエステルも主に触れることは許されなかった。すなわち完全な形での主を抱きしめることはかなわなかったのである。「わたしにさわってはいけない、わたしはまだ父のみもとにあがっていないのだから」。すなわち王国はいまだ完全に明かされてはおらず、神の栄光は完全に顕現してはいないのだ。そしてエステルは王に近づくが、王が差し出す黄金のセプターの頭に触れるのみである。ふたりは次の間に控える身である。ふたりは王国には入れない。ふたりは先触れ役をつとめる女である。世界をピラミッドの次の間へと案内する身である。日が昇る前、いまだ暗いうちにやってくる女である。

 真鍮の祭壇と大水盤を納める幕屋の外陣はピラミッドの下り通路に照応する。さらにこの照応はノア、洪水の聖約、モーゼへと続く。覆われた家は上り通路に照応する。ここには七枝燭台と供物パン台が納められる。これは第二世代である。第三世代はキリスト教徒である。それはイエスから発し、物質主義に象徴される最初の長く狭い通路に続く。その典型が大回廊であり、これは黄金祭壇を納める幕屋の至聖所に照応する。この考え方によれば、モーゼ的およびキリスト的摂理が一個の覆われた家を二部に分割した。最初のものは聖所であり、次のものは聖域である。それから控えの間に照応するヴェイルが到来する。ヴェイルは四重であり、青、紫、緋色と白である。青は第一の暗い通路の入り口に、紫は控えの間の入り口に、緋色は第二の暗い通路の入り口に、白は王の間の入り口に照応する。ヴェイルと至聖所が天幕を構成し、すべてがそろって首と頭ができあがる。それがエステルとマグダラのマリアが先触れとなった第四世代である。

--Edward Maitland ed. Life of Anna Kingsford (London: Watkins, 1913), Vol.2., pp.172-3

聖書出典

出エジプト記第25章、26章
エステル記第5章1−3節
ヨハネ伝第20章17節


解説 : 1884年の冬から春にかけてキングスフォードの日記に残る一連のカバラ関係の書き込みである。注目すべきは「女性が案内役をつとめる第四世代」という記述である。自らメアリー・マグダレンをカトリック洗礼名とするキングスフォードが、自身をその案内役として想定している点は疑いようがないであろう。アダム、ダヴィデ、イエスと続く三世代があり、ついに到来したのが「王の娘の時代」すなわち女性が人類を密儀へといざなう第四世代なのである。
 幕屋とピラミッド云々の個所では、キングスフォードが念頭に置いているのはギザの大ピラミッドとその玄室である。棺箱と暫定訳してあるものは玄室内部にある石製の棺(とおぼしきもの)。同様の考察は1881年発表の The Perfect Way にも見られる。




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