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七格言 第二集


第八の格言

聖書にも記されたるとおり、神は物や人に名前を割り当てられた。またおん自らの宝物庫よりある種の力と効能をとりだし、さまざまな名前に分配された。ゆえに星の記号と名前はその形と発音によって力を持つにあらず、神が定められた効能と職能により力を持つのである。天上、地上、地獄の三界にあって神に由来しない力はないからである。そして神の許しなくしては、記号も名前を一切の力を発動できないことを知れ。


第九の格言
神より出ずるものこそ第一等の叡智なり。次なる叡智は霊として造られたるもののそれなり。さらに肉として造られたるものの智恵、第四に自然と自然物のなかの知がある。さらに教えに背いて最後の審判を待つ身となった霊たちのそれがある。第六に地獄において懲罰係の職につく神の僕のそれ。第七に、小人族が最底辺を占めるにあらず、元素や元素のなかに住まうものたちがある。されば創造主と被造物の叡智の差異を心得よ。すべての叡智はわれらの前に姿を現すがゆえに、その真の使い道を心得ることこそ肝要なり。すべての被造物はなんらかの形にて人間の益になるよう定められており、それはあらゆる聖典、理屈、経験が証明するとおりである。


第十の格言
全能の父なる神、天と地の創造者、可視と不可視なるもの万物の創造者たる主は聖書にてわれらを後見してくださると述べられたり。子供を愛す慈父の如く、われらにとって何が益か、何が益ならざるかを教えたもう。われらがなにを避くべきか、なにを大切にすべきかを教えたもう。現世来世の利益を約し、また懲罰を加えると脅すことにより、われらを服従へといざない、不利益から逃れさせたもう。ゆえに日夜聖典をひもとき、今現在に満足し、未来永劫祝福せられるたるべし。聖典の教えをなすべし。されば汝は生きるであろう。


第十一の格言
四なる数字はピタゴラス数にして四数の最初なり。さればここにこそ、聖典にて明かされたる神の叡智に次ぐすべての叡智の基盤を置き、しかるのちに自然のなかにある配慮へと向かうべし。
 さればすべてを神に委ねし者に、すべての被造物が望むと望まざるにかかわらず奉仕し、服従する叡智を授けよ。さればここに神の遍在が光を放つであろう。さらばここにわれらは進んで奉仕する被造物とそれを望まぬものを見分けるであろう。あらゆる被造物の叡智と職能を役立てる法を学ぶであろう。この術は伝えられるものにあらず、明かされるものなり。神が秘密を明かされる人あり。なにひとつ与えられぬ人あり。すなわち人は神の意志なくしてはなにも達せられぬのである。
 ゆえにわれらは***を心より望むにあたり、たよるべきは神のみである。神はわれらに慈悲深く分け与えるであろう。われらに息子をくださり、聖霊のために祈れとお命じになったのである。可視、不可視の被造物すべてをわれらの従属とされたとして何の不思議があろうか。汝が求めるものは与えられるであろう。神の賜物を悪用せぬよう気をつけよ。すべて自らの救済を念頭において行うべし。とりわけ汝の名前が天に記されていることに注意せよ。キリストも警告していた如く、霊たちが汝に従順であるか否かはささいなことである。


第十二の格言
使徒行伝において、百卒長コルネリオがペテロを呼びにきたとき、霊がペテロに語る。「ためらわずに下にゆけ。わたしがかれらをよこしたのである」。このようにしてすべての訓戒が神の御使いの肉声にて伝えられた。そのことはエジプト人の古記録にも現れる。その後、訓戒は人の意見が加わることで曲解され、劣化した。さらに悪霊が介入し、服従を知らぬ人の子たちのあいだに不和の種をまいた。そのことは聖パウロやヘルメス・トリスメギストスからも明らかである。これらの技を復興するには神の聖なる霊たちの教えによるしかない。真の信仰は耳を傾けることにより来るからである。されど汝は真理を確信し、霊が語りかけて事の真偽を明らかにすることに疑念を抱かぬゆえ、神のみを信仰の礎とせよ。されば汝はパウロと同様、「わたしは頼るべき人を知る」と言えるであろう。天の父の意向なくして一羽の雀も地に落ちないのである。一意専心、神のみを頼りとしているならば、汝がたばかられるなどありえようか、信仰薄き者よ。


第十三の格言
主は生きる。そして生きるものすべては主のなかに生きる。そして主は真にYHVHなり。万物にありてあるものを与えるものなり。そして主は御言葉のみにて息子を通じ無より万物を生じさせたる。主はすべての星と全天をその名前で呼ぶ。されば主は万物の真の効能と力を、可視不可視のすべての被造物の序列と性質を知るものなり。神が主に被造物の名前を明かされたがゆえなり。されば主は神より力を受け、被造物の効能と隠された秘密を引き出す。その力を発動させ、闇より光へと出でる。されば汝が目指すべきは霊の名前を得ることなり。それはすなわち霊の力と職能を知ることなり。また汝のまえに姿を現すよう神に命ぜられる仕組みを知ることなり。ラファエルですらトビアスのもとに送られ、父親を癒し、息子を危険から救い、妻を娶らせるのである。神の力であるミカエルは神の民を統治する。神の使者ガブリエルはダニエル、マリア、洗礼者ヨハネの父ザカリヤのもとに送られた。されば汝のもとに、汝の望むままに事物の性質を教授する者が与えられるであろう。神の寵臣を用いるにあたっては汝の創造主、救世主、聖別者、すなわち父、御子、御霊を畏れ、打ち震えよ。学びしことをいかにても漏らすべからず。召喚に際しては慎重を極めるべし。真に必要でないものは望むべからず。

第十四の格言
汝の魂は永遠に生きる。汝を創造せし神を通じて生きる。ゆえに汝の神、主に呼びかけ、主のみに仕えるべし。汝、神により課せられたる、神と隣人のための目的を果たすことを望むならば、これをなすべし。神が汝に望むものは心がけなり。神の息子を称え、息子の言葉を守る心なり。汝が息子を称えるなら、それは天にまします父の意志を行うことなり。汝は隣人には人類としての責務を負うものなり。汝のもとに来る人すべてに息子を称えさせよ。これが法にして預言者なり。現世のことにおいては、現世にて必要なすべてをもらえるよう父なる神に呼びかけよ。そして神より与えられたるものは霊あるいは物を問わず、これを用いて隣人を助けよ。

されば汝、かくの如く祈るべし。

おお天地の主、可視不可視の万物の創造者よ。とるにたらぬわれなれど汝の助けを得て呼びかけん。汝のひとり子、主イエス・キリストを通じて呼びかけん。われに汝の聖なる霊を与えたまえ、汝の真実のうちにわれをすべての善に向かわしたまえ。アーメン。
 われはこの生の術を知悉することを切に望むものなり。かの術は闇のなかにて圧倒され、人の浅知恵にかぎりなく毒されたる。されば汝に教わらぬかぎり、われは自力にていかなる知識にも達することなし。われに汝の霊のひとつを与えたまえ。汝の栄光を称え、隣人の利益をもたらすべく、われが知ることを許されたる知識をもたらす霊を与えたまえ。またわれに学びの心を与えたまえ。さればわれは汝の教えを容易に理解し、胸に秘め、尽きることのない宝物庫より宝を取り出すが如く必要なものを用いん。さればわれに恩寵を賜らん。われは畏れ、打ち震えつつ、謙譲のもとに、主イエス・キリストと聖なる霊を通じて汝の賜物を用いん。アーメン。

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