本棚の整理

いつ買ったかも忘れた謎の本たち

時に雑文を書きたくなるのである。日頃書いているのが名文であるかのような言い草だが、抗議は受け付けない。

小生が魔法関係の書籍を集め始めたのは1970年代後半だった。当時は情報もなく、ただ著者とタイトルを参考に「きっと魔法の本だ」と信じ込んでカタログ買いしたのである。冷静に判断すると、だいたい10冊に1.5冊くらいの割合で「はずれ」「スカ」「外道」が混じっていた。いまだ純情素朴であった小生は、「洋書=ありがたい本」との認識にて、あほな書物でも辞書を引き引き読解していたものである。もっとも、この不要不急の読書、この回り道こそが結局小生の文筆的「はば」となったのだ(と思いこまねばやってられぬわが身が悲しい)。

この駄文ではそうして入手した不可思議な書物を紹介しておきたい。それなりに資料となるやもしれないからである。



番号その1 In Defence of Magic by Catherine Cook Smith (London: Rider, 1931).

「魔術擁護論」というタイトルにひかれて購入したもの。フロイトやユングを引用しつつ魔術を語り、イエイツにも触れるのだが、いかんせん一般論に終始するため、読んでいて退屈。それでいて話は東洋、西洋と飛びまくり、突然チャップリンが登場したりする。



番号その2 My Adventures in the Occult by Shaw Desmond (London: Rider, n.d.)

発行年月日が印刷されていないが、おそらく50年代の刊行。著者のデズモンドはなかなかの多作家で、同書で紹介されている一覧によると、他の作品としては『われわれは死なない』、『みんなの輪廻転生』、『死んでも生きる方法』、『イエスか、パウロか?』といった宗教本、『少年の恋愛日記』、『黒い夜明け』、『幽霊の島』といった小説、さらに童話、紀行、戯曲となんでもござれである。でもって『わがオカルト冒険』だが、心霊術関係の記述が多く、それなりに面白い。デズモンドに関しては後年ピーター・アンダーウッドが語っていて、こちらのほうが興味深い。いわく「リッチモンドの我が家からそう遠くないところにショウ・デズモンドが住んでいた。当時の心霊術運動の指導的宣伝家である...死後もセックスが行われるという独断的意見を唱えたためにいつも議論を巻き起こしていた。動物もペットも来世があると主張していた。かつて自分はライオンの餌にされたキリスト教徒であり、そのときの模様を鮮烈に記憶していると語り、また前世が百人長だった人物とローマで出会ったとも言っていた」(1)

1. Peter Underwood, No Common Task (London: Harrap, 1983), p.66.



番号その3 Progressive Studies in Spiritual Science by Walter H. Scott (London: Rider, n.d.)

心霊術とキリスト教と東洋思想と物理科学を142頁で調和させようという意欲作。なんで購入したのかも不明。ただ、ダストジャケット裏表紙にあるライダー社刊行本広告が面白い。『クレオファス手稿』ジェラルディン・カミングス自動筆記とか、『霧を超えて、或いは楽園の魂の自叙伝抄』など、オートマティック・ライティング本が多数見受けられる。



番号その4 An Introduction to Telepathy by W. E. Butler (New York: Samuel Weiser, 1975).

 バトラー御大の御著書を「はずれ」呼ばわりとは何事ぞとお思いになる向きもおありでしょうが、小生とて好きで左様な文言を弄しておるのではない。なにせタイトルからして「テレパシー入門」である。これは一冊1ドル25セントという薄型手帳サイズ本で構成される Paths to Inner Power シリーズの一冊。なぜかバトラーはこのシリーズで何冊も出しており、そのうちの「霊視入門」「サイコメトリー入門」「オーラ入門」が『オカルト入門』(大沼忠弘訳角川文庫)として邦訳されている。で、問題のテレパシー入門の内容はというと−−。−−。−−; そうだった、バトラーはリベラル・カトリック・チャーチの司祭でもあった、と痛感させられるのである。



番号その5 The Art & Practice of Contacting the Demiurge by Ophiel (Oakland: Peach, 1978).

ご存知オフィエルの『デミウルゴスとコンタクトする方法』。白地に奇怪な配色のイラスト、全ページのボーダーに時祷書風の草花文様。ポップオカルトの代表的旗手にしてオカルト・コマーシャリズムの勝ち組であるオフィエル師匠が今日もゆくゆくどこまでも。

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その他、多数あれど省略。


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