『コンペンディウム・マレフィカルム』第1書第2章

人為魔術に関して

 魔術には自然と人為の二種類がある。自然ないし正統魔術は、神がアダムに与え給うた賜物としての知識を用いるものであり、人が増えることにより後代にまで伝えられた。プセルスやプロクロスも指摘しているように、自然魔術とは自然の秘密に関する正しい知識でしかない。天上の星の運行と影響を観測し、あるいは物質間の共感と反発を知り、無知なる者には幻惑か奇跡に思える不思議な現象を生み出すのである。トビアスが魚の胆嚢を用いて父親の失明を癒したとき、ガレンその他がドラゴネットに見出す効能が用いられていたのである。狼の皮で作った太鼓の音は、羊の皮で作った太鼓を破裂させるであろう。この種の例は聖アウグスティヌスが言及している。孔雀の肉は腐敗しない。籾殻は雪を溶かさずに保存し、また熱を保つがゆえに果実を熟成させる。水につけると燃え上がる白墨は、しかし油では発火しない。ギルゲンティの塩は火で溶けるが水中では硬化し、うめき声をあげる等々。

 それとは別に人為魔術なるものがある。これは人間の小手先によって出現する不思議である。これにも二種類あり、数学と手品に分類される。数学魔術とは幾何、算術、天文の原理を利用する。例をあげるなら、シラキューソ包囲戦の際の、鏡による軍艦の焼き討ちがある。タレントゥムのアルキタスの空飛ぶ木鳩。レオヌス帝の黄金の歌う小鳥その他。これらはすべて自然の法則に逆らうものではなく、むしろ自然の法則を利用し、運動の方向と次元を正しく変換することが必要とされる。手品と称される魔術は欺瞞と錯覚を用いるもので、その効果は外見とはずいぶん異なる。コンジャラーや綱渡り芸人はわざとらしい呪文など唱えているが、実際の芸のもとは手足の敏捷性である。慎重に調教した野獣も同様の離れ業を行うことがある。あるいは隠れた第三者の手で人目を盗んで行われることもある。ベルの司祭たちはドラゴンが供物を食べたと主張するが、実際は違うのである。さて降神術や自然魔術はそれ自体善にして合法である。しかし非合法となる場合もある。第一に、邪悪な目的のために行われる場合。第二に、悪魔の助けを借りて行われたと勘違いされて大騒ぎになる場合。第三に、コンジャラーや観客に精神的ないし肉体的危険が及ぶ場合である。そして考慮しておくべきは、コンジャラーたちは奇術によるトリック10回のうち、1回は純粋に小手先のわざを披露する。そうすることで、かれらが行うことは純粋に技術と敏捷のなさるわざであり、幻惑でも妖術でもないと思い込ませるのだ。ウルリヒ・モリトールいわく、悪魔はあるものをべつのもののように見せることができる。そしてニダールいわく、コンジャラーたちはほかにも多くのトリックを使う。なにゆえならば、これらの奇術は洪水以前の巨人悪魔によって伝授されたものであり、それをハム族が学び、ハム族からエジプト人へ、それからカルデア、ペルシャと、連綿と伝えられたからである。聖クレメンスは『認識論』(第4巻)のなかで語っている。「ゾロアスターはカルデア人のなかの筆頭であり、その所業の当然の報いとして雷に撃たれた」。


実例

 コローニュのとある娘が貴族の前で魔法とおぼしき不思議を披露したという。ナプキンを引き裂き、皆の面前で一瞬のうちにつなぎあわせたといわれる。またガラスの器を壁に投げつけて砕き、一瞬で修繕するといったことをなした。この娘は異端審問によって破門されることを免れている。

 同じ情報筋によると、フランスにトロワ・エシェルと名乗るコンジャラーがおり、シャルル九世および公衆の面前にて以下の不思議を行った。トロワは離れた場所に立つ貴族のネックレスに魔法をかけ、ネックレスのリングがひとつひとつ自分の手のなかに飛んでくるようにしたという。問題のネックレスはその後無傷で発見された。この男は多数の人間業ないし自然現象では説明がつかない行為のため有罪とされ、すべては悪魔の仕業であったと自白している。もともとそうではないと執拗に否認していたのであるが。

 ヨハン・トリテミウスによれば、876年という早い時代、ルイ帝の御世に、ゼデキアスという名前のユダヤ人医師が諸侯をまえに不思議を見せたという。藁を満載した馬車を馬と御者ごと丸呑みする。人間を首も手足もばらばらに切断して血の滴る器に入れ、一瞬で無傷のまま再生させる。また真冬の宮廷に木々や草花を咲かせ、小鳥が飛び交ったという。

 ドミニコ会修道士トマス・ファゼーリは『シチリア島年代記』第2期第2巻(また第1期第3巻1章)においてディオドロス通名リオドロスなる人物がなした不思議を語っている。この男は魔術を授かったとの触れ込みのもと、カタニアにて驚異の奇術を行い繁盛していた。呪文の力で人間を動物に変えたり、あらゆるものの形を変えたり、また遠くにある物品を一瞬で引き寄せたりした。またカタニアの人々に罵詈雑言を浴びせることで自分を崇拝するよう仕向けたと公言していた。この男は死刑台に運ばれる際、呪文の力によって看守の手を逃れ、カタニアからビザンチウムまで空を飛び、すぐにカタニアに戻ってきたという。この魔法に驚いた人々は、ディオドロスになんらかの神の力が備わっていると思い込み、愚かしくもかれを崇拝するようになった。最終的にカタニアの司教レオニスが突如として神の力を授かり、衆人環視のなか街の真ん中で男を炉の中に放り込んだ。ディオドロスはそのまま焼けてしまった。かくして神の正義が勝ったのである。寛大な判事の手によって死を逃れても、聖なる人の手からは逃れえないからである。

 現代にあっても、マルタ人チェザーレなる者がパリ人によって捕らえられたが、巧妙に脱獄したという。そして公判中に異端審問官バジウスが告発した嫌疑のひとつがこれである。しかしかれは地獄落ちを恐れよと訓戒されており、また当時の知事は審問の際に教会判事の監督を必要としていたため、公判の最中に崩れ落ちてしまい、その場で多数の不思議を実演しはじめた。他の人に魔法のカードを持たせ、離れた場所から外観を数回変えてみせたり、テーブルの向こうに置いたガラスの容器を引き寄せたりした。テーブル上に大量の砂糖の粒をばらまき、まわりの人に心の中で一粒を選ばせ、しかるのちにどの粒を選んだかを当ててみせ、まえもってわかっていたと豪語した。その他、いろいろと不思議をやってみせたのである。そして1600年、第3回公判にてかの学識深いマリネーズ大司教ホヴィウスにより裁判所に呼び出されたとき、チェザーレは出頭せず、とある貴族のもとに亡命した。この貴族は反キリスト擁護の首魁だったのである。
 司法の権威を無視してコンジャラーを不法にかくまった貴族は二年と立たずに壮年にて死亡した。邪悪を擁護してからというもの、かれの城下では物事はなにひとつうまく運ばなかった。この点からみても、神はその敵をかくまう貴族を決して罰さずにはおかないこと明白である。すなわち神はこう明言されているからである。「魔法使いの女は、これを生かしておいてはならない」(出エジプト記22章18節)。










dragonet 小型のコチ類の総称



ナトリウム等、プリニウスに記述あり。




アルキメデスがなしたといわれる集光器応用。














Ulrich Moritor (?-1492) パデュアの法博士にしてコンスタンス大学の教授。魔女論にて名を残す。















"Trois-eschelles" 1571年パリにて処刑されたとされる妖術師。サバトにて多様な悪業を行ったと告白し、さらに共犯者の名前を1200名も列挙している。




Johan Trithemius 著名なベネディクト派の僧院長(1462-1516)。




Thomas Fazelli (1498-1570) ドミニコ会が誇る歴史家の一人。






















Matthias Hovius (?-1620) グアッゾと同時代に生きた司教。学識をもって知られる。




解説

 16世紀末から17世紀初頭にかけて、コンジャラ−たちがどのような活動を行い、それが魔女狩り関係者の目にどう映っていたかを示す一文といえよう。ドミニコ会修道士たちは当時の一級の知識人であり、いわゆる手品、奇術のタネも仕掛けもわかっていたはずである。それはそれとして、かつてキリストと使徒たちが行ったとされるわざをトリックにて再現するコンジャラ−たちをまえに、これを寛大に処遇する気もさらさらなかったのであろう。
 魔女狩りの教科書に報告されているトリックの数々が、現在でもほぼ同じ形でステージマジックとして演じられている点が実に興味深いのである。

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