魔術とはなにか

 かのシェイクスピアは『テンペスト』において、魔術師プロスペロに「われらは夢と同じ物質でできている」と語らせておりますな。

 まあ、これがすべてであろうと思うのでして。

 夢とは人間が一番簡単に経験できる無意識の世界であり、視力を用いずに映像を鑑賞できる方法です。

 また、人間は覚醒時であっても視力を用いずに映像を見ることができますぞ。目を閉じて、想像力を働かせればよいのです。

 この二つの事例が具体的事実である点は、どなたにも受け入れてもらえると思います。

 そして“魔術”をご理解いただくには、上記の二つの点を認めていただくだけでよい。

 すなわち魔術とは、想像力を用いて意識的に夢を見る趣味である。

 少なくとも現時点ではこれ以上のことを主張するのは無理というもの。

 趣味という言葉を使ったのは、魔術が仕事ではないからです。やる必要がないのに好きでやる作業は趣味としかいいようがない。




 「魔術の目的は神人合一である」と主張する流派もある。そういう人は「神人合一」という夢を見るのだと思われますな。

 「守護天使と語らうことが目的である」とする魔術。「守護天使と語らう」夢を見るとするほうが無難。

 「地獄に降って悪魔と契約する」術。そういう夢を見る術なのでしょうな。

 そのほか、物質に星の力を与える術とか、多数の不可思議の技術が伝えられてはいるものの、その真偽は不明。

 間違いなく主張できることだけを集約すると、「想像力を用いて意識的に夢を見る」となるわけで。



 魔術という言葉にはいろいろな連想がつきまとう。呪文、魔法円、天使、魔物。すべては象徴、シンボルですわ。

 魔術師はまえもって多数の象徴を学習する。そうすることで夢の内容を設定する。

 火の天使はこういう姿でこういう衣をまとっていてと設定することで、見たい夢のシナリオを書いているといってもよい。

 象徴は設定であって唯一絶対の真理ではありませんぞ。

 設定の集大成である魔術体系とて同じです。Windowsが設定であって唯一絶対の真理ではないのと同じです。

 世界には多数の「魔術的な体系」が存在します。ヨガや仙道や密教がそうです。それらも唯一絶対の真理ではなく、設定です。LinuxやBeOSと同じです。

 すなわち魔術というOSの上に象徴という言語を走らせ、夢というプログラムを組むとお考えいただきたい。

 そして魔術だけがOSではなく、他にもいろいろなOSがあるのだという事実も認識し、唯我独尊に走らないように注意しなければならないのである。



 限られたスペースにあれもこれもと詰め込むのは効率が悪くなるばかり。まとめに入ります。

 先に魔術は趣味であると記しましたな。趣味である以上、楽しいものでなければいけない。

 魔術を修行していると、たしかにつらいことや苦しいこともある。しかし、煎じ詰めてしまうと、つらいことが楽しい。修行とはだいたいそういうものですわい。
Fool on the Hill
 ただし修行者とは矛盾のかたまり。自己の現状を否定するから修行するのであり、そして自己を否定している自分に陶酔もしているから始末が悪い。

 そういったことをすべてからめて考えていくと、最後は自嘲しか残りませんわな。

 丘の上の馬鹿になるしかない。

 馬鹿の言葉にはだれも耳を貸さない。

 ただ丘にたたずみ、沈む太陽を眺めて世界の廻るさまを眺めるしかないのであります。
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