魔術と美少女のヴィジョン

 *この稿は2006年8月5日東京は銀座のヴァニラ画廊にて行ったトークショウ「魔術と美少女のヴィジョン」をもとに、当日触れなかったトピックを交えて新たに書き起こしています。現場にいらした方々から発せられるであろう「そんな話だったか?」という疑問は無視したく思います。


無原罪の御宿り the Immaculate Conception

 とりあえず西洋世界にて女性崇拝といえば聖母崇拝なのですが、聖少女崇拝が登場したのはどこらへんか、なにがきっかけだったのか、それが魔術方面にどう影響を与えたのか−−そのあたりを証拠物品を提出しつつ Show & Tell しようというのがトークショウの目的でした。

 で、最初に登場したのがティールマン・ケルヴェール時祷書零葉「無原罪の御宿り」the Immaculate Conception 。15世紀末、ドミニコ会が主宰する「ロザリオ信徒会」が隆盛を極めたため、フランシスコ会が対抗馬として持ち出してきたのが聖少女としてのマリア、という構図ですね。ただしロザリオ信徒会にはロザリオ数珠という決定的なアクセサリーがあり、絵画パターンとしては「薔薇園の聖母」があるため、信者の心をがっちりと掴んでいる。この点「無原罪の御宿り」は弱いというか、これというデザインが存在しなかった。そこで1480年頃、聖少女を空中に浮かせて周囲に雅歌起源のシンボルを手当たり次第にならべるという絵が登場してきたのです。

 そして16世紀初頭から一気に大量生産されるようになった印刷時祷書に「無原罪の御宿り」が組み込まれる。何十万人が同時に同じ絵を眺めるという状況が、「魔術的シンボルとしての美少女」を精神世界に設定した、と。さらに「無原罪」には旧約聖書の恋の歌「ソロモン王の雅歌」に由来する数々のシンボルがちりばめられていて、どんな時代背景の美少女でもそれらのシンボルをふたつみっつ付属させれば「聖少女マリア」になりうる、という話なのです。



ティールマン・ケルヴェール時祷書零葉 無原罪の御宿り

(165*115mm) 1506年。印刷、一部手彩色。ヴェラムに赤黒印字。頭文字、段落記号、終止埋め草に青地およびマゼンタ地に金文字による手彩色。

 中央に手を合わせて中空に浮く裸足の少女マリア。

 上空に半身にて描かれる父なる神、右手にて祝福、左手に十字宝珠。
 周囲は雲に囲まれる。父なる神の下のラベルは雅歌4章7節 「わが愛する者よ、あなたはことごとく美しく、少しのきずもない」。

 マリアンシンボルは時計回りに、「海の星」、「いばらのなかの百合」、「ダヴィデの塔」、「オリーブ」、「くもりなき鏡」、「庭の泉」、「神の都」、「閉じられた庭」、「生ける水の井」、「エッサイの花咲く棒」、「ヒマラヤスギ」、「薔薇」、「天国への入り口」、「月」、「輝く太陽」。


 


図書館の美少女 Madini in the Library

次なるトピックはご存知エノキアン魔術の美少女マディニ(あるいはマディミ)です。この霊的美少女は1583年に出現しておりますが、はたしてこの年代をどう考えるか。小生なんぞは印刷時祷書に登場した「無原罪の御宿り」が幾多の瞳を通じて「大いなる記憶庫」に貯蔵され、それがフィードバックしたものではないか、と思っています。

 マディニはディーの書斎兼図書館すなわち当時の欧州にて個人最大と称された2500冊もの蔵書のなかを飛び回ります。はたまた自ら小さな書物を所持してなかの挿絵を喜んで眺めます。この愛すべき姿はカソウボン編集の『ディー日記』の冒頭に記されており、以来研究者を魅了してやまないのです。

 トークショウに持ち込んだディー日記は近年アントワンが復刻した1000部限定のものです。この日記にマディニの絵がない、というか文字でしか記録が残っていないという点がさらに読者の想像力を刺激したわけで、ともあれ該当個所をちょっと見てみましょう。


1583年5月28日

……突如としてわが礼拝所より霊的存在が出現したようである。それは7歳から9歳ほどのかわいい少女で、前髪を巻き上げ、後ろ髪は長く垂らしており、緑と赤に色変わりするガウンをまとい、裳裾を上げ下げして遊んでいるようだった・・・まるで余の書物のなかに出入りし、積まれた書物の上に座ったり、一番大きな・・・その娘が行くところ、書物たち自ら道を空けるような・・・ある山から次の山へと移ってゆき・・・このかわいい少女についてEKがさまざまな報告をしてくれたが・・・


△ 余は言った・・・そなたはだれの娘か?
△ 娘・・・あなたはだれの人間なの?
△ 余は神のしもべなり。人としての当然の義務のみならず、神の御心によりてしもべに選ばれたものと願っている。
声・・・しゃべったら、ぶちますよ。
・・・わたしはすてきな乙女じゃなくって? あなたのおうちで遊ばせてね。お母さんもやってきてここに住むって言ってた。
△ 娘は少女らしい活発さでとびはね、ひとりで遊んでいた。ときどき別の声が書斎の隅の大きな姿見のほうから娘に語りかけていたが、娘以外の姿はまったく見えなかった。
・・・わたしが? わかった (娘は書斎の隅の声に返事をしているらしい)
・・・もうすこしここにいさせて (隅のだれかに語りかけている)
△ そなたがなにものか、教えてくれ。
・・・もうすこしわたしを遊んでちょうだい。そしたら教えてあげる。
△ さればイエスの御名にかけて答えよ。
・・・わたしはイエスの御名を喜ぶものなり、わたしはちっちゃな女の子のマディニよ、母さんの下から二番目の娘、おうちには赤子の妹たちがいるわ。

(中略)

EK 彼女が微笑んでます。だれかが、おいでと呼んでます。
Ma・・・まず自分の淑女録をよく読むつもり
  間違っていたらディーさんが教えてくれるでしょう
△ よかったら淑女録を読んでくれないか
Ma・・・紳士録と淑女録を持ってるの、ほら

EK ポケットから小さな本を取り出しました。
・・・・・本の中の絵を指差しています。
Ma・・・この人、素敵でしょう
△ その人の名前は?
Ma・・・ええっと・・・かれの名前はエドワード、ほら、頭に冠をかぶってる。お母さんが、この人はヨーク公だと言ってた。

EK 本のなかにある、手に小冠、頭に大冠をかぶった人物の絵を見ています。
Ma・・・この人はイングランドの王だったときはいい人だった。
△ かれがイングランドの王だったときから、どれくらいの時がながれたかな?
Ma・・・そういうことを聞くの? わたしは小さな女の子なのに。ほら、この人はお父さんのリチャード・プランタジネット、それにそのお父さん。
△ その人をなんと呼ぶ?
Ma・・・リチャード、たしかケンブリッジ伯爵リチャード。

EK 本のページをめくって、言ってます。
Mad・・・おそろしい主君。この人、こわい。
△ なぜこわい?
Ma・・・きびしそうな人だから。どんな人かは知らない。でも、この人はクラレンス公。この人はケンブリッジ伯爵リチャードのお父さん。ほら、その妻のアンもいる。


 現在欧米にはエノキアン魔術を実践している人が多数いるのですが、そのなかには実践の動機として(大きい声では言えないけれど)「マディニに会いたい」という人も多い(笑)。怒らないから正直に言ってごらんと締め上げますと、赤面しつつ「マディニに会いたい」と白状するわけです。それではマディニはどういう姿形をしているのか。また、エノキアン魔術を世に出したのが事実上19世紀末の黄金の夜明け団であったことを思うと、マディニのイメージにヴィクトリア朝末の美少女像を用いるべきか。かくして西洋魔術博物館の収集対象はとんでもない方角へと向かうのですが、その話は少しあとに回します。




 さて昔より物語が大好きな少女という1種族というか1ジャンルがあるわけで、英国でも17世紀頃から彼女たちが自ら筆をとって書物を著すようになります。そして英国でもっとも人気のある劇作家すなわちシェイクスピアを丹念に研究する女性も出現します。そういったなかから、現在でいえば「キャラ萌え二次創作」としかいいようのない作品が生まれてくるわけです。その直接的きっかけとなったのは1832年に発表されたアンナ・ジェイムソンの『シェイクスピアのヒロインたち』です。これはシェイクスピアのヒロインたちをタイプ別に分類し、性格分析を行うという作品で、初版はパジェットのイラスト付きで発表されました。
 以来この本は版を重ね、あるときは実在の女優の肖像画とともに、別のおりには他の画家のイラストとともに出版されるという、きわめてヴィジュアル性の高い代物となりました。ここに至ってシェイクスピアのヒロインたちは作品から独立した存在感を持つようになり、それに拍車をかけたのが1850年から2年にわたって発表されたメアリー・カウデン・クラークの『シェイクスピアのヒロインたちの少女時代』という書物でありました。ジュリエットの幼女時代にこういうエピソードがあった、オフィーリアは赤子の頃から不思議な子だったと、完全な創作を15本並べたわけで、すなわち今でいう「キャラ萌えの二次創作」そのものでした。一番の人気者は深窓の令嬢ながらも大胆な行動力と抜群の知性を有するポーシャ(ベニスの商人)です。人肉裁判では男装して登場し、はては恋人を軽くからかってみせるコケットも持ち合わせるからでしょう。

 そして1850年、ほぼ同時期にいわゆる「ラファエロ前派兄弟団」PRBが結成されています。そのためラファエロ以前の美術工芸すなわちまさに印刷時祷書の「無原罪の御宿り」が、今度はシェイクスピアのヒロインたちの姿を借りて英国の各所に顕現することになったのです。

上は1901年に出たミランダ・ライブラリー版『シェイクスピアのヒロインたち』です。文章は1832年版と同一ですが、イラストを担当したのはロバート・アニング・ベル。まずは表紙に押された「読書をする少女」をご覧ください。


 さらに本を開けばそれは見事な赤黒2色のイラストが多数目に入ります。左のそれは井戸に座す乙女の図ですが、周囲には生垣があり、さらに全体を円で囲っておるわけで、これなどは完全に印刷時祷書の系譜を引いていると申せましょう。

 言ってしまえば女の子向きのヴィジュアル本です。しかしここに見られるシンボリズムを印刷時祷書まで追跡できる人であれば、この書物をもとにヴィジョン探求をなすことも可能なのです。


ケイト・グリーナウェイの暦 KATE GREENAWAY'S ALMANACK

 ラファエロ前派が召喚した中世末期のイメージの表現者として、ケイト・グリーナウェイ(1846-1901)を無視することはできません。とりわけ西洋魔術博物館では、彼女が1883年から1897年まで出し続けた『暦』 Almanack を重視しています。これこそは印刷時祷書の直系の子孫だと思っているからです。

 左は当博物館所蔵の1891年版「暦」です。75mm*105mmという小さな版型にフォリッジ・ボーダーをあしらうまさに時祷書そのものの意匠。全26頁の内訳は見開き中扉にエドマンド・エヴァンズによる彩色エングレイヴィング、12ヶ月分のカレンダー、さらにイラスト多数。

 グリーナウェイという女性は幼い頃ノッチンガムシャーという田舎で過ごし、長じてから往時を回想して理想的少女を描いたとのこと。すなわち彼女が描く少女たちは現実感のない思念であり、その服装もジョージアンともヴィクトリアンともつかぬ不可思議な代物となりました。むしろア・ラ・グリーナウェイとしかいいようのない世界を紡ぎだしたというほうが正確でしょうか。


 

そしてパメラ・コルマン・スミス

 上に出したシェイクスピア本やグリーナウェイの暦が魔術とどのような関係にあるのか、首をひねる方もいらっしゃるでしょう。それをご理解いただくにはいわゆるライダー・ウェイト・スミス・タロット(以下RWS)とケイト・グリーナウェイの類似性を紹介するのが一番でしょう。下は『1891年版暦』の扉絵です。

 続いてRWSの小アルカナから棒の4と杯の3。

これはパメラ・コルマン・スミスがグリーナウェイをぱくったとか、そういう話ではありません。両者が同じ流れのなかにいるということなのですな。RWSタロットは大アルカナの意匠に関してA・E・ウェイトの大いなる影響下にありますが、小アルカナのデザインはパメラの裁量に大部分委ねられていたようです。杯の3の「豊潤」、棒の4の「完成された作業」というキーワードをもとにデザインを考えたとき、幼い頃に親しんだグリーナウェイの絵が若干モディファイされて登場したと見るべきでしょう。

 さらにRWSとシェイクスピアの関係についても有力な証拠がございます。

ご覧のようにこれは1898年にパメラが受けた仕事、『シェイクスピアのヒロインたち』のカレンダーです。おそらくパメラはアンナ・ジェイムソンの著書のフルイラスト25枚および扉絵や装丁も請け負うつもりでいたでしょうが、これは実現せずに終わりました。このポスターに描かれているヒロインは後列のオフィーリア、赤い帽子のポーシャ、男装の麗人はおそらくフロリゼル、他はちょっと確証が持てないので言及をさけましょう。

 ともあれパメラが1898年の時点で『シェイクスピアのヒロインたち』を意識していたのは間違いない話でしょう。そしてこの書物がヒロインたちを性格別に分類している−−知性のポーシャ、情熱のジュリエット、想像力のオフィーリア、情愛のデズデモーナ等々−−を考えますと、もしかしたら、と思うのですな。もしかしたら、RWSのコートカードはシェイクスピアの登場人物を描いているのではないか、と。ついでにいえば小生、マルセイユのコートカードは旧約聖書の王侯たちであろうと睨んでおります。

 現在RWSタロットは業界スタンダードとして魔術作業にも用いられます。このカードを扉として夢の世界を逍遥するとき、魔術師が思わず知らずグリーナウェイの世界に紛れ込む、あるいはアーデンの森をさまよってタイタニアに出会う可能性があるでしょう。むしろそれがRWSの人気の秘密かもしれません。





大切なこと、大切にされること

 そろそろまとめに入るわけですが、これまで紹介してきた時祷書も『シェイクスピアのヒロインたち』もグリーナウェイの『暦』も、すべて女性の持ち物でありました。どれもとても大切にされてきた品々です。幸せな思い出がこもった品といってもよいでしょうし、なればこそ大切にされたのです。ケルヴェール時祷書リーフは1506年の製作ですから実に今年で満500歳という聖少女像、縁あって小生の書斎を仮寓としています。『シェイクスピアのヒロインたち』は1901年の出版ですが、この書物も面白い履歴を有しています。見返しに貼ってある一枚のシールからそれが分かるのです。簡単にいってしまうと「ロンドン地区教育委員会 シャーブルックロード・ハイグラマー・スクールは1904年度の学業優秀のご褒美としてこの書物をエマ・ヘインズに与える」とのこと。15歳の優等生美少女がこの書物を手に喜んでいるさまを想像するというのが正しい方向でありましょう。

 魔術における美少女のヴィジョンはマリアの無原罪の御宿りを基調として、常に書物とともにあった、というのが今回のトークの要点であります。マリアは母アンナから読み書きを教わり、大天使ガブリエルが受胎告知に来たときも書物を手にしています。ペンテコステの際にもひざの上に書物を置いているのです。マディニが図書館に出現し、書物のあいだを飛び回り、自分でも小さな書物を所持しているのも偶然ではないと申せましょう。かくして聖少女が持つ書物は時代に応じて時祷書となり、あるいは祈祷書となり、詩集になり、絵本になっていきます。魔術師が使うタロットカードもその範疇にあり、ヴィジョンを喚起する術を心得ていればRWSタロットからでも中世末の聖少女に到達できるでしょう。そして同じことはグリーナウェイの絵本からも可能であり、とりわけ『暦』は宇宙の進行を記す時刻表のようなものですから、「パーソナル・グリモワール」として活用できますし、事実活用している人もいます。恥ずかしいので公表しない場合が多いですが。

 とまあ、あっちこっち飛び回るトークは終わりとなります。今回小生が画廊に持ち込んだ品はどれも「少女の幸せ」がこもった品ばかりでした。そういうものを集めている中年男ってどうよという声は無視し、イエイツが語る「大いなる記憶」論を追求すれば、われらが心の奥から引き出せるものは映像や知識だけではないとわかります。幸福感といった感情もまた召喚対象となるはずで、そのあたりを美少女のヴィジョンに託すというのが古来多くの芸術家が無意識のうちになしてきたことなのだろう、と思います。

2006年8月5日 東京銀座 ヴァニラ画廊にて。


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