水晶球観照という分野は西洋魔術の華なのですが、なにせ主観一辺倒の術であるため、客観的検証は事実上不可能です。
黄金の夜明け団では、スクライング実践に関しては実に慎重でした。「なにを見ようとも信用するな」と口を酸っぱくして繰り返していました。水晶球の中に天使が出ようが悪魔が出ようが、眺めて楽しむだけにしておけと教えていたのです。
こういった映像は結局は術者の無意識の反映に過ぎない。ようするに覚醒夢の一種であり、夢を真に受けてはいけない。見た映像を分析して自分の精神状態を把握するのはよいが、映像内容から未来など推測できるわけがないとしていました。
あるいは星幽体投射にしてもそうです。宇宙に飛び出す体験を得たとします。しかし黄金の夜明け団では、人体オーラが宇宙の映像を反映しており、それを知覚しているにすぎないと主張します。反射望遠鏡で月面を観察することと、実際に月面に立つことには天地ほどの差があるわけで、そのあたりをしっかり区別していた点が黄金の夜明け団のえらいところです。
今の世にエノク魔術を残してくれた偉大なる魔術研究者ジョン・ディーはこのあたりのことがわかっておらず、水晶球に現れる天使や霊のお告げを鵜呑みにし、最後はぐちゃぐちゃになってしまいました。しかもディー自身には霊視力はなく、助手のエドワード・ケリーが霊視して語る内容を聞き書きしていたのです。この状況では主観も客観もあったものではない。
クロウリーは1923年5月21日の日記にこう書いています。
「実際の話、啓発を求めて情熱を燃やしたがために道を踏み外す可能性も大である。万が一、霊的義務と個人的名誉のあいだで葛藤するようなことがあれば、それはもう罠が仕掛けられている明確な証拠であって、君子危うきに近づかずの理にあるとおり、躊躇することなく平然と君子たるべき道を選ぶほうが正しい」
天使だろうが師匠だろうが神様だろうが、常識に照らしておかしいと思われることを言ってくるようなら、平然と無視すればよいのです。こんな簡単なことがわからずにトラブルに巻き込まれるようでは、魔道など歩めるわけがない。