ウィリアム・ペック著

星座入門




THE CONSTELATIONS & HOW TO FIND THEM

by William Peck

****


人々は古来より星を眺めて興趣を覚え、また称賛してきた。さらに星の軌道を算出し、さまざまな目的に供してきたのである。また星にいわゆる「影響力」を認め、これが人の運命を左右するとして、無知なる者、迷信深い者たちの関心を呼ぶところしきり。古代にあっては「星の運行」が人間や国家すら支配すると考えられていた。ゆえに正確な天体運動が知られる以前、人が満天の星を眺めて畏怖を覚え、無数の星に迷信を抱いたとしてもなんの不思議もないといえる。星とその運行の知識を得ることによってきわめて正確に未来を予測できると信じていたのであり、厳粛なる静寂のうちに進行する星々の座相変移を研究すれば宿命の奥義すら明らかになると考えたのである。しかし科学と宗教が世界の隅々まで照らし出す現代にあってすら、星の影響力や占星術は信じないが、惑星学を鵜呑みにする人は多いのである。惑星や彗星がもたらす力のゆえに飢饉や疫病、異常気象に地震その他が起こるとする考え方は、古代占星術と同じく愚かしいといえる。とはいえ本章にあって筆者の目的は占星術の古代や現代を論じるところにあらず、星と星座の基本知識学習がいかに簡単かを示すことにある。その過程で関連がありそうな項目を指摘するのも一興であろうかと考える次第。

 星空の研究に興味を抱く人にとって、澄みきった夜空を観測して季節季節に移り変わる星座を観測することほど楽しい仕事はない。月が進めば見慣れた星たちが西に消え、東から新たな一群が登場する。一年が過ぎれば全天がふたたび同じ様相を呈するのである。

最初に星空を見上げていた人間たちが全天を分割して星群を設定し、なにかに似ていると名前をつけたのである。なるべく簡単に星を見つけられるようにというのが動機であろう。最初の観測者たちはおもに羊飼いあるいは牧童であったから、最古の星座の名前もかれらの身近な動物や事物からつけられたことは想像に難くない。ゆえに全天に広がる星群には熊、ライオン、羊、牛、あるいは羊飼いや猟師といった古代の観測者自身も登場するのである。

 こういった星座の命名と認識のシステムはカルデア人とエジプト人に由来すると思って間違いない。もちろんアラビア人、ペルシャ人、ギリシャ人もそれぞれ多数の星座をつけくわえてきた。現在でも多数の星座を命名されているが、すべてが天文画家たちの賛同を得ているわけではない。星座に姿形を与えるという発想は明らかに古い。星座に触れていない古代の作家が皆無である点からもそれは察せられる。ホメロス、ヘシオドスがうしかい座とおおくま座に触れている。モーセ以前のアラビアの首長とされているヨブはアルクトゥルス、オリオン、プレアデスを語るのである。ゆえにわれわれが慣れ親しんでいる星座の大多数が大昔の人々にも知られていたとわかるのである。おそらくいまから4000年ほど前、アララト山からそう遠くない場所に住んでいた人々が星座の名前を決めたと考えられる。当時--すなわち現行の星座名がつけられた頃--星空は現在と同じ姿をしていなかった。地球は公転と自転に加えて、自転軸自体が巨大なジャイロスコープのような運動をしているが、これが実に緩慢な動きであるため、完全に一回りするのに25900年も必要とする。また地軸の延長線上にある一点(天極)があり、その周囲を全天が周回しているように見える。ゆえに天極の最も近くにある星を北極星と称する。4000年前、地軸は現在とは違う方向を指しており、星座も現在とは異なる場所に存在した。当時、北極星はりゅう座の星ツバンであったのだ。すなわちツバンはエジプト人たちがケオプス王のピラミッドを建設していた頃の北極星であった。そしてツバンはピラミッド建設には大いに役立ったにちがいない。この構造物は東西南北を正確にあらわすよう設置されているからである。

 当時の北極星はピラミッドの長大な斜坑を照射しており、夜間のみならず日中でも輝いていたはずである。1

図A

 図Aに点々からなる円が見られよう。この円の周縁のすぐ近くにポラリスすなわち現在の北極星がある。この円は地球の北極の延長線が天に描く軌跡をあらわしている。北極がこの円を一周するにはおよそ25900年かかるのである。動く方向は矢印にて示している。この円は等間隔で分割してあり、一区画が1000年に相当するから、将来あるいは過去のある時点で北極がどこにあるか一目でわかる。これを見れば北極の軌跡のごく近くにツバンがあるのがわかる。すなわち前述したようにおよそ4000年前、地軸はツバンを指していたのである。そして北極はいまだこぐま座のアルファ星にも近づいていないとわかる。13000年すなわちこの円をほぼ半周すれば輝くベガが北極星になることもわかるであろう。

 図2は北極がりゅう座アルファ星付近にあった頃の天をあらわしている。当時りゅう座すなわちドラゴンが北天を占領していたことがわかる。すなわちこの星座においてもっとも輝く星ツバンが4000年前の北極星であったのである。
 ちなみに古代の作家が「その尾で全天の星の三分の一を掃く、天より落ちた古き竜」と記すとき、言わんとするところは極点の移動によって北極星の位置を追われたりゅう座であるとする意見もある。さらに全天の星座配置とりわけ隣接したそれに洪水神話を見出す向きもある。アルゴ座に箱舟を見る。みずがめ座はそのままでいい。エリダヌス座は洪水、うお座とくじら座は水に住まう者たちである。からす座とはと座はノアが箱舟から送り出した鳥たちをあらわす。いて座のケンタウロスはもともと生贄を捧げる者として描かれるがゆえに箱舟を降りて生贄を捧げたノアを感知させる。ケンタウロスが持つ弓は契約の虹であり、さいだん座のうえの雲にかかるのである。
 古代人が世界最初の出来事を星座の名前に託して語る理由、それは容易に想像がつく。すなわち星座が命名されたのは大洪水から数世紀後のことであり、いまだ人の心は地を訪れる恐ろしき現象で満たされていたのである。全天にノアの洪水の物語を見出したとしても不思議ではないといえる。
 かくして星座に洪水神話を見出す者たちは、大蛇に負けるヘラクレスに最初のアダムを見る。へびつかい座にはへびに打ち勝つ第二のアダムを見る。そして全星座の第一等たるオリオン座は大いなる狩人ニムロデである。かれの猟犬はおおいぬ座とこいぬ座であり、追う獲物はうさぎ座である。
 現在おおかたの星座はその名前のもととなった形状とは似ても似つかぬかたちとなっているが、これは容易に説明がつく。すでに述べた地軸の周回運動のために当時と現在とでは星の位置が大きく変化してしまったのだ。たとえばアルゴ座の場合、本来船がそうであるように竜骨が水平に見えてしかるべきであるが、現実にはそうではない。しかし4000年前のカルデアやエジプトの緯度にあっては、アルゴ座がまさに南の水平線上を航海しているように見えたのである。また、われわれに伝えられた星座はさまざまな機会に主要な星を奪われてきた。ある星は他の星座に移され、また他の星座から星を貰うという形で多くの変更が行われてきたのである。ゆえに古代の星座がどの星から構成されていたのか、正確には判明しないといえる。

著者略歴
William Peck
ウィリアム・ペック (1862-1925)


☆ 黄金の夜明け団エジンバラ支部アメン・ラーのメンバーにして神智学協会員。天文学者としても著名。

1862年、スコットランドのギャロウェイ近郊にて出生。正規の天文学教育を受けていた形跡はないものの、
1883年にはエジンバラにて天文学関係の論文を発表。
1885年には王立天文学協会のフェローとなっている。エジンバラの実業家コックスの私立天文台の学芸員となり、夜な夜な望遠鏡を覗く日々を送る。

1898年にはエジンバラ市立天文台の初代所長に任命され、死ぬまでこの職にとどまる。望遠鏡の自作に秀でており、各種観測器具も手作りし、かつ自在に操ったといわれる。

1898年、同じくエジンバラにて電気自動車製作会社 Madelvic Motors を設立。連合王国内にて最初の自動車製造を行う。2年後に倒産。

1917年、長年の貢献を認められナイト爵に叙せられる。
1924年にはエジンバラ天文学協会名誉会長に推されている
1925年、死去。
BACK