占術3

実践回想および奔出する無意識エネルギーの制御

 


 早い話、“言い間違い”の処置、ということなのですわ。

 1976年秋、某私立高校に存在した「黄金の夜明け研究会」(略してヨアケン)なる組織が学園祭にてタロット占いを実行、恐ろしいほどの客を集めて大盛況を呈したのですな。このときに占い師をつとめた高校生が二人、そのうちのひとりが「悪魔のように当てる」との評判をとっておりまして。

 で、あとから事情を聞いてみると、おもしろいことが判明したのです。すなわち、彼は「言い間違い」で名声を博しておったのです。

 彼のまえに客がやってきて、椅子に座る。彼は「なに座のお生まれですか?」と質問するのですが、ときおり言い間違いをしてしまい、たとえば「しし座のお生まれですか?」と質問してしまうわけです。それがまず100%“当たっていた”のです。確率十二分の一とはいえ、のっけから星座を当てられた客はびっくりでしょう。

 あるいはお子様連れの主婦に向かって「三人目がおできになるかも」と言ってしまったそうです。その場にいる子供は一人だけ。通常なら二人目というべきでしょうが、かれは平気で「三人目」と言ってしまった。言われた主婦はびっくり。まさに子供がもうひとりいたからです。

 占術の実践時にあっては、この種の“言い間違い”を見過ごさないこと。おおむね真実の声にしてイメージの突出なのですわ。

 タロットのように図像を扱う占術は、占い師の無意識層に波風を起こしやすいわけです。とりわけ学園祭のような状況で、アマチュア占い師が数をこなして連占すれば、無意識層の波風はおさまることを知らず、“言い間違い”という形で表面に突出してくる。件の高校生の場合、それをうまく処理して「的中」に結びつけていたということ。

 そもそもタロットの図像が無意識の祖型的イメージを表現しているとすれば、それをシャッフルしてカットしてという作業が秩序だった精神構造にどれほど衝撃があるかわかりそうなものでしょう。続いてばらばらに散らばったカードのなかからランダムに数枚を選びだし、意味付けを行うわけですから、もうバベルの塔の建て直しのようなものですな。

 ただし、しょせんは素人の悲しさ、無意識層をランダムにかき混ぜるという作業は非常に疲労するわけで。それも通常の疲労ではなくて、なんというか、労働を介在せずに直接疲労するとでもいえばよいのか、いきなりエネルギーが抜かれていって何の見かえりもない状態。

 ようするに、運動して疲れたとか勉強して疲れたというのであれば、疲れた分だけ筋肉がついたり知識が増えたりという見かえりがある。無意識層をかきまぜることによる疲労にはそれがないわけで、ただ純粋に疲れるのですわ。そして頭がぼーっとしてくれば、いよいよ言い間違いが増えてくるわけで、ある種のトランス状態といってもよい。

 この種の意識状態を作り出すのは意外に簡単なのですわ。ようするに連占で疲労すればよい。ただし、特に好ましい状態とも思えないわけです。はっきりいって純粋疲労というのはどこか不自然。

 図像系占術に熟達しようと思うなら、一度や二度はこの「純粋疲労」を経験する必要があるでしょうし、“言い間違い”の誘発とその処置を学んでおくべきでしょう。とはいえ毎回トランス疲労しては身も心ももちませんわい。

 なお、本人の意図とは別に、占術の際に毎回疲労するようであれば、占術の開始と終了の際に明確な儀式的所作を行うべきでしょうな。「カードの並べ直し」などが適当でしょう。

戻る