タロットの起源に関する考察

ノトジェ福音書を中心として


 現存する最古のタロットはヴィスコンティ・スフォルザ版であり、その製作は十五世紀初頭とされている。しかるにこのタロットが世界最初のタロットであったかといえば、否とする見解が主流である。かの豪華なタロットは、当時巷間に流行っていた遊戯用カードを貴族向けに作り直したものであったと考えられるのである。

 となれば当時の遊戯用カードが発見されればよいのだが、残念ながらこれといった見本が登場しないまま現在に至っている。民間レヴェルの賭博用カードなどはしょせん消耗品であり、疲弊や欠損を経て廃棄されるのである。

 カードという形で確実な系統追跡を行うのが最上であろうが、それが現状では不可能となれば、残るはシンボリズムの観点から系譜を考究するしかない。そしてタロットには各種の寓意、象徴がふんだんに詰め込まれているため、多様な考察がなされたのである。エジプト説、カバラ説と百花繚乱であり、ややもすれば根拠なき憶測が飛び交う始末であった。

 この混乱にあっては、なんらかの物証をもってタロット起源説を唱えるべきであろう。

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 筆者は以前、タロットの象徴体系はキリスト教のそれを一歩も出ていないと指摘し、タロットの起源を「祭壇画パネルが携帯用にカード化したもの」と定義した。

 この稿では「祭壇画説」を修正し、あらたに「装飾聖書の装幀板が遊戯用カードに変化したもの」という説を提唱したい。

 さらに「タロット発祥の地はイタリアではなくフランドルである」と主張するものである。

 以上の主張をなすにあたり、筆者が例証として持ち出すのがノトジェ福音書である。

 百聞は一見に如ず。下の写真をご覧いただきたい。
 

ノトジェ福音書


 この装飾聖書はベルギーのクルチウス博物館に所蔵されている「ノトジェ福音書」である。中央の象牙板は990AD頃の製作であり、彫金とエマーユの部分は1170AD頃の作とされている。10世紀後半、リエージュ地方を支配したノトジェ司教大公が地元の工房に命じて作らせたものであり、いわゆるモザン美術の傑作といえる。

 この種の装飾本は教会の備品にして財産であり、ミサの際に祭壇中央に鎮座ましますのである。

 続いて聖書の各部分を仔細に点検してみることにする。

1 象牙板
2 剛毅
3 正義
4 節制
5 川の擬人像


1 象牙板

 この象牙板は19cm×11cmという寸法であり、「四聖獣に囲まれ足元に世界を置くキリスト」いわゆる栄光図を表している。下の人物は玉座を降りてひざまづき、礼拝堂に向かって書物を開いている。

 四隅の金具で写本に固定する仕組みであり、他の象牙板との差し替えを前提としているといえよう。

 およそキリスト教美術工芸品のなかで、タロットに一番近いものといえばこの種の装幀板であろう。材質はここに見られる象牙や金銀が多い。


2 剛毅

 見ての通り、人物がライオンの口を押さえている。頭部背後に光輪があり、肩から背後にかけて翼が描かれている点から見て、天使であることも明白であろう。金属生地にFortiudeと刻まれている。


3 正義

 天秤を持つ正義の女神である。
やはり光輪と翼を持つ天使像であり、Justitiaという銘が刻まれている。



4 節制

 杯を二つ持つ天使像、およびTemperantiaという銘が刻まれている。


5 川の擬人像

 水瓶から流れ出る水が川を表している。Tigrisという銘が刻まれている。
 なお他の三隅の擬人像は、左上がピソン、右上がギホン、右下がユフラテとなっている。



 以上、ノトジェ福音書のディテールを見てきたわけだが、興味はどうしても象牙板に集中しがちである。しかしこの福音書に限っていえば、エマーユの装飾部分がさらに重要なものといえる。

 まず注目すべきは、通常のタロットと同様、四種の枢要徳のうちの三種(正義、剛毅、節制)がタロットそのままの図案で描かれており、しかもタロット同様に「深慮」が存在しないという点である。多数のタロット研究者が「深慮」は「隠者」に変化したという説を採用しているし、あるいは「吊られた男」をもって深慮と見なす場合もある。しかしノトジェ福音書の場合、「深慮」が存在しない理由はただひとつ、ようするにイエス・キリストの頭上に画像を入れるわけにはいかなかったということであろう。キリスト教美術の約束として、キリストの頭上に描くことを許されるのは父なる神あるいは聖霊のみである。象牙板の頭上部分には図案化されたアルファ・オメガが筋彫りされている。

 それではなぜ四種中、深慮が外され、他の三種が描かれることとなったのか。その謎の鍵となるのが川の擬人像なのである。

 そもそもエデンの園から流出する四つの川はピソン、ギホン、ユフラテにヒデケル(創2.13)である。ノトジェ福音書に刻まれたチグリスなる名称は、実に旧約聖書中、ただ一回ダニエル書(ダニ10.4)においてのみ使用されたものなのだ。

 ゆえにノトジェ福音書の象徴体系はダニエル書に準拠しているのであり、そうなれば三種の枢要徳の選択および天使に見たてられている理由も簡単に理解できる。ダニエル書にはミカエル、ガブリエル、それに「ししの口を閉ざす御使い」(ダニ6.22)が登場するからである。すなわち正義がミカエル、節制がガブリエル、剛毅が「御使い」という照応が採用されている。

 ダニエル書のチグリス言及部分にはこう記されている。

 「そのころ、われダニエルは三週の間、悲しんでいた。すなわち三週間の全く満ちるまでは、うまい物を食べず、肉と酒とを口にせず、また身に油を塗らなかった。正月の二十四日に、わたしがチグリスという大川の岸に立っていたとき、目をあげて望み見ると、ひとりの人がいて、亜麻布の衣を着、ウパズの金の帯を腰にしめていた。そのからだは緑柱石のごとく、その顔は電光のごとく、その目は燃えるたいまつのごとく、その腕と足は、みがいた青銅のように輝き、その言葉の声は、群衆の声のようであった」(ダニ10.2−6)

 象牙板のキリスト像とその下の人物像はまさにこの場面を描いているのである。またダニエル書には他にも「床にあって得たヴィジョン」(7章)、「ウライ川のほとりにて得たヴィジョン」(8章)が記されており、おそらくはそのヴィジョンを刻んだ象牙板が存在したのではないか。象牙板の四隅にある大きめの留め金具は、手軽な交換を前提としていると思われるからである。

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 以上、ざっとノトジェ福音書を点検した。いうまでもなくこの装飾本はトップクラスの細工であり、まさに至宝と称して構わないものである。ゆえに今日まで伝来し、ベルギーの重要文化財となっている。しかし、すべての教会に高価な装飾本が備えられたわけではなく、教会の格が落ちれば当然装飾本のランクも落ちるのであって、象牙細工は木彫となり、エマーユはただの彫金となるのである。

 装幀板の材質も、象牙や紫檀からただの薄板、果ては厚紙とダウンするのである。当然、細工をする職人もBクラスとなる。ようするに二級品、三級品の装飾聖書用装幀板、これがタロットの原型であると思われる。そこに描かれる象徴体系は、当然ながら福音書の場面であり、また上述したダニエル書準拠の枢要徳である。

 11世紀の装飾装幀板が14世紀末に遊戯用カードとして登場するまでの300年間、なにがどうなっていたのか、それは今後の調査にかかるものであるが、筆者の立てた仮説としては、12世紀中頃、ミューズ川流域、フランドルの市民階級のあいだで品質の悪い厚紙装幀板をゲームに用いる風潮が生まれたとする。それが流行となり、ゲーム専用の装幀板が製作されるようになる。デザインも簡略化される。このゲーム用カードはフランドルを起点として各地に伝播していくのだが、イタリアに向かうとなると、アルプス越えは難しいのでロレーヌ、ブルゴーニュと南下してリヨン経由でマルセイユに到達。あとは海路でジェノヴァに向かい、陸路でミラノ、フィレンツェと流通したのであろう。

 ちなみに象牙という素材の流通ルートを考えてみれば、上述のマルセイユ・リヨン・ロレーヌというラインは充分に首肯できるものといえる。

 そしてイタリアでも流行となったゲームを、貴族もやってみたいということになり、ヴィスコンティ・スフォルザ版という比較的豪華なカードが製作されたのであろう。ちなみにヴィスコンティ・スフォルザ版の寸法は175mm×87mmとかなり大きめである。これは装幀板の190mm×110mmというサイズの名残と思われる。

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