タロット聖人伝

中浦ジュリアン (1569?−1633)

 いわゆる天正遣欧使節の一人にしてイエズス会の修道士。

 遣欧使節の四少年のうち、伊東マンショは早くして病没し、千々石ミゲルは棄教、原マルチノは国外追放されマカオにて客死。中浦ジュリアンのみが徳川の大禁教期に司祭として潜伏活動し、最終的に捕縛され、獄死している。

 ジュリアンに加えられた拷問は「穴吊り」と称されるきわめて苛酷なもので、長崎奉行竹中采女正の考案とされる。地面に直径1メートル深さ2メートルほどの穴を掘り、中に糞尿等を入れる。そのなかに体をぐるぐる巻きに縛った信者を吊るすのであり、外側からは足しか見えない。信者は耳たぶやこめかみに血抜き用の穴を開けられ、容易には絶命しないようにされる。

 二十六聖人の公開処刑がキリシタン熱を鎮静させるどころか逆に火に油を注ぐ結果となった件をかんがみ、なんの公開性もなく劇的でもない「穴吊り」が採用されたのであろう。殉教するキリシタンとしても、できれば一段高い台の上で衆目を一身に浴びつつ、我が身をキリストになぞらえて死にたいわけで、穴吊りは最悪であったといえる。

 ちなみに二十六聖人は1862年に列聖されたのであるが、ジュリアンにはなんのご褒美も与えられていない。やはり穴に吊るされてはだめなのであろう。

 左は17世紀中頃にローマで出版された日本殉教史資料にある中浦ジュリアンの図。


マルセイユ版の吊られた男

 このデザインは十五世紀中頃のグランゴヌール版あたりからまったく変化していない。中浦ジュリアンの殉教図はまさに「吊られた男」であるが、無論のことジュリアン図がタロットに影響を与えた可能性は皆無である。

 むしろジュリアン殉教図こそタロットの「吊られた男」を参考にしているのではないか。 


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