タロットと天国

from 14 to 22

 タロットに見られる各種の絵柄は一見すると統一性のないバラバラな代物のように思われるが、これをジグソーパズルのピース群の如きものと考えれば、それなりに納得のいくセレクションではある。そう、ジグソーパズルは手本絵があり、それにそってピースを組み合わせていく。もし手本絵を紛失し、ただばらばらのピースだけが残ったら、オリジナルの姿に復元するなどまず不可能だろう。すなわちタロットにはオリジナル・スキームが存在するのだが、それが失伝したために話が混乱している−−筆者は2004年10月の時点でそう考えている。そしてこのオリジナル・スキームとはカードの並び順ではなく、カードの並べ方、いわゆるスプレッドではないか、とも考えている。プロト・タロットのほとんどに番号が入っていないのは、オリジナル・スキームがナンバリング・オーダーではないことを示しているのではないか。

 では、そのオリジナル・スプレッドとは? それは稿を改めて考察したい。


 と、上記の如く記してから若干の時間が経過した。わかりやすくいうと、筆者はプロト・タロットを20枚の絵札ではなく、1枚の絵を構成する20パーツであると考えるにいたったのである。

 本稿ではヴィスコンティ・スフォルザを中心にマリアン・シンボルによるオリジナル・スキームの推測、およびその後の展開と解読を行いたい。

 実際の記述に入るまえに、少しだけ念頭においていただきたいことがある。プロト・タロットの代表格であるヴィスコンティ・スフォルザ版は作製当初14枚しかなく、のちに6枚が追加されたが、それでも塔と悪魔がない。また札自体にタイトルも番号も入っていない。われわれはマルセイユ等のタイトル&ナンバー札に慣れ親しんでいるため、どうしても「魔術師、女教皇、女帝・・・」という並び順で考えてしまうが、この先入観を捨てる必要があるのだ。本稿でも読者の便宜を図ってタイトルを使用するが、あくまでも便宜上のものであることをご理解いただきたい。そうしないと、筆者が主張する「世界」=「塔」などという置換はとうてい受け入れていただけないであろう。

まずは最初から存在した14枚を見てみよう。すでに筆者の考えるオリジナル・スキームとして配列してある。







 すなわち「審判」を中央最上とし、まさに「最後の審判」を再現する構図である。直下の「正義」は大天使ミカエル(背後の騎士は黙示録の騎士)、その下にフォルチュナ。神学的序列としては容易に首肯できるであろう。運命の女神の周囲には老若貴賎の人間が配される。

 右側に死神と吊られた男、左側に恋人と戦車。それぞれ審判後の地獄と天国をあらわす。

 筆者の考えでは、この寓意札たちはもともと時祷書付属の教材のようなもので、元絵となる大型の「最後の審判図」の上にレイアウトして説明を行う、あるいは子供にレイアウトさせて正否を競う、そういった性質のものだったのではないか。そして元絵はおそらくタペストリーであり、それこそ黒板風に立てて用いた。なぜこういう推測をするかというと、これらの寓意札たちには皆、上端中央にピンホールが開けてあるからだ。この穴に関しては諸説あり、保管の際に丈夫な糸を通していたからとも言われている。やはり一番素直な解釈は、これらの札をなんらかの垂直面に固定するためのピンホールと考えることであろう。ピンホール用の穴があいているから、紐を通して保管するようになったという考え方もある。

 では、これらの寓意札を「最後の審判図」に配置してみよう。元絵として用いるのはこれら寓意札と時代的・雰囲気的にもっとも近いと筆者が考える、フラ・アンジェリコの「最後の審判」である。「節制」、「剛毅」、「星」、「月」、「太陽」、「世界」の6枚もすでにレイアウトしている。





 最後の審判の到来とともに、「死」と「運命」はその機能を失う。「死」は地獄にて悪魔の手伝いをし、「運命」はぎりぎりで天国方面に向かうか(そのあたりを考察するのがゲームなのだ)。皇帝や教皇といった権力者、愚者やいかさま師といった連中はそれぞれ左右に散らばり、天国ないし地獄に向かう。アンジェリコが描く天国組、地獄組には、それぞれ教皇冠や王冠をかぶる人物がおり、また軍人や聖職者も含まれている。

 第一次エクスパンションの六札のレイアウトは、「星」、「月」、「太陽」を画面上部空間に配して宇宙を表現する。節制を画面左隅枠外に置いて神の慈悲を、剛毅を画面右隅枠外に置いて神の峻厳を表す。もっとも注目していただきたいのが「世界」の位置である。画面左上、天国の入り口に置いている。そもそも「世界」に描かれているのは"Walled City"であり、すなわちマリアン・シンボルとしての天国なのだ。アンジェリコの描写と比較すれば、この配置の適切さをご理解いただける−−筆者はそう確信している。



 そしてこのレイアウトから第二次エクスパンションすなわち+2、「塔」と「悪魔」が追加されるのは自然な流れといえよう。まず「悪魔」に関しては一目瞭然、まさに悪魔が堂々と存在を主張している。初期タロットの悪魔がいわゆる「誘惑者」のそれではなく、地獄で亡者を虐待する「悪鬼」タイプばかりである点も有力な証左といえよう。





 「塔」が加わった理由として、まず思い浮かぶ推理は以下の如し。
 すなわち「城砦都市」としての世界がキリスト図と一体化して中央最上部に移動したのではないか(グランゴヌールの「世界」を見よ)。ようするに「塔」とは都市の一部であり、またマリアン・シンボルであるから天国を表現することができる。そして後年、天国としての「塔」はその役割を「太陽」にゆずり(すなわち城壁を有する太陽が登場)、自らは画面右に移って「地獄の入り口」になった。マルセイユ等の転落者つき塔がこれにあたる。この移動は、塔がマリアン・シンボルにして天国を表現し得るという”常識”が世間一般から失われたためであろう。カード・メーカーですら本来の意味を読み取れなくなったのではないか。さらに、この頃になるとタロットの教材としての意味は完全になくなっていたと思われる。

 また、ロッホナーの「最後の審判」図では両サイドに建物が描かれ、それぞれ天国の入り口、地獄の入り口を表現している。画面右の炎上する建物と悪魔、悪魔に運ばれる人間などは、そのまま後年の「塔」と「悪魔」に流用できる。テーマが同じ「最後の審判」であっても、イタリア派とアルプス以北派では微妙に作画約束が異なるのである。印刷術の発達によってカード製造業の中心がドイツ寄りになったため、下に見る塔の表現が採用されたという解釈も十分説得力を持つであろう。後年、「塔」にタイトルが入り、「神の家」とされたり「悪魔の家」とされたりするのも、実は両サイドのどちらを採用しているかに起因しているものと思われる。



Lochner, c1435 detail



 いずれにせよ、「塔」と「悪魔」の追加は「最後の審判」に対応する絵札の追加にほかならない。元絵となる「最後の審判」がイタリア系かフランドル系かで札の種類に若干の差異が生じる場合もあったと思われる。

 さらに第二次エクスパンションのあたりから寓意札にナンバーが入り、タイトルがつき、いわゆるプロト・タロットの時期が終る。

***

 筆者の考えを今一度まとめてみる。すなわち最初期のプロト・タロットは時祷書付属の教材であり、大判シートの上にレイアウトして用いるものであった。そのテーマは「最後の審判」であり、たとえば子供にレイアウトさせて知識や運を競う、一種のゲームでもあったものと思われる。ゆえに番号もタイトルも必要ない、というか、むしろ邪魔である。ジグソー・パズルのピースに番号など打たないのと同じなのだ。

 さよう、一種のジグソー・パズルと思えばよい。パズルであれば、ピース数が多いほど面白い。そして時間が経てばゲーム性を保つためにもエクスパンションが必須となった。そこで採用された寓意は主に雅歌系のマリアン・シンボルであり、また剛毅と節制である。後者はミカエル=正義という天使見立てゆえに採用された寓意であり、バイブリカル・エンジェルは三体しかいないゆえに「深慮」が登場することはなかった。

 推理の根拠
 * 手彩色タロットは時祷書工房にて作製されていた。また時祷書に年少者用教材が付属した例は多い。さらに教材が判じ絵 rebus としてゲーム化した例もある。また15世紀当時、カード・ゲームが賭博として禁止される例が相次いだが、タロット(当時はトリオンフ)は規制の対象外とされていた。また、俗にいうマンテーニャ・タロッキがグレコ・ローマン系の視覚教材である点も考慮に入れてよい。


 その後、この寓意札はプレイング・カードと合体し、教育ゲームとはまったく別種のゲームに用いられるようになった。このときにカードにナンバーが入ったものと思われる。いわゆる「切り札」を用いるトリック・テイキング系のゲームであれば、ナンバーを打つだけでいかなるデザインの札でも切り札になる。このあたりは後年の「アニマル・タロック」を見れば瞭然であろう。そして問題は、ナンバリングの際の根拠である。無番号「愚者」、1手品師、2女教皇、3女帝というナンバリングはなにを根拠に決定されたのか。

 ここで筆者は、1480年代以降に爆発的流行となったロザリオ信徒会とその十五玄義図絵の存在を指摘したい。俗にピクチャー・ロザリーと呼ばれる図絵は、聖母とイエスの生涯を十五種類のカットとしたもので、厳然としたナンバリング・オーダーが存在する。そしてこの図絵も印刷工房すなわちプレイング・カードやタロットと同じ場所で製作されていた。そして雅歌起源のマリアン・シンボルを有する寓意札に、十五玄義のナンバリング・オーダーをおおざっぱに適用した結果、現在の大アルカナの並び順になったものと思われる。

 そしてナンバーが入ることで各寓意札はデザインが揺れはじめたのであろう。たとえば愚者は当初の「狂人」から「道化」あるいは「巡礼」へと姿を変えていく。これは印刷工房が手元にある聖人札等のデザインをカードに流用した結果であり、それを可能ならしめたものがナンバリングであった。とりあえず番号、そしてタイトルさえ入れてしまえば、絵画約束から少々逸脱しようと問題なかったのである。それでも逸脱はマリアン・シンボルの範囲内にあった。そのあたりは拙稿「太陽の象徴」や「塔の象徴」に記したとおりである。

***


付録

 筆者が考える最初期プロト・タロットの遊び方。

 貴族の館の一室。家庭教師が最後の審判の模様を描いたタペストリーを板壁に掛け、各種寓意札を要所要所にピンでとめてゆく。
 教師はおもむろに一枚の札を手にし、前に座る子供たちに質問を発する。
 「それではこの皇帝陛下は地獄行きでしょうか、天国行きでしょうか?」
 年少の娘が手をあげて答える「ええっと、天国行きだと思います」
 「理由は?」と教師。言葉につまる娘。
 やや年長の少女が発言する「その皇帝陛下が誰なのか、それが問題だと思います」
 にっこり微笑む教師。「いいところに気がつきました。では、ネロ皇帝だとしたら?」
 「それは地獄行きです」と少女。
 「コンスタンティヌス帝だとすれば?」
 「天国に迎えられます」
 「理由は?」
 「コンスタンティヌス帝はキリスト教をローマの国教に定めたからです」と別の少女。
 「よくできました。それでは次に愚者を考えましょう…」




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