タロットと運命の輪

−−車輪の行方

 タロット一枚絵・最後の審判説を推進していくうえで、もっとも問題となる存在が「運命の輪」である。この札はそれ自体が膨大な観念群を背負っており、むしろ「運命の輪」を中心とした一枚絵を考えてもよいくらいである。さらに最後の審判を描くフレスコに運命の輪が登場した例が見つからないのである。

 しかし灯台もと暗しであった。ジョットやアンジェリコのフレスコ画、ブルージュやフェラーラの時祷書といった領域にて見つからないものが、意外と身近なところに潜んでいたのである。すなわち英国の至宝のひとつ、大英図書館所蔵ベドフォード時祷書である。

ベドフォード時祷書 Bedford Hours

1423年のベドフォード公爵ジョン・オブ・ランカスターとアン・オブ・バーガンディーの婚礼を記念して作製された豪華時祷書。画家は不明だが、この時祷書にちなんでベドフォード画匠と称される。

 左は追悼聖課の冒頭を飾る最後の審判および地獄の亡者拷問の図。

 最後の息をする亡者。
 逆さにして運ばれる亡者。
 車輪はりつけにされる亡者。
 打擲される亡者。


 すなわち最後の審判のはてに地獄落ちした亡者のための拷問器具として車輪が用いられていたのである。この描写は時祷書の別の個所にも見られる。以下は悪魔車輪の拡大図、および聖カタリナ殉教図である。



この車輪図から導き出される結論としては−−タロットの原型は14枚から20枚程度のカードから構成される「最後の審判一枚絵」であり、最初期の頃「運命の輪」は亡者拷問図のひとつとして「吊られた男」や「死」とひとくくりにされていた、というものである。そもそも「運命」はキリスト教世界にあって居場所に困る概念であるから、最終的に地獄の機能となっても不思議ではない。

 以上、ベドフォード時祷書の一例をもって万事を片づけるわけにはいかないが、最後の審判図における「車輪」の位置付けに関してひとつの解釈を得た点はまちがいない。おそらくベドフォード画匠はカタリナ車輪とフォルチュナ車輪に共通点を見出している。信仰を貫いて拷問車輪にかけられこれを破壊したカタリナを、「異教的フォルチュナに打ち勝った者」として描いているのではないか。そして地獄で苦しむ亡者たちは、信仰を守らなかったゆえに悪魔としてのフォルチュナに弄ばれていると解釈できるのである。

 とりあえず、「最後の審判」図のなかの車輪を地獄サイドに移動させるほうが適切のようである。

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