タロット雑感 一連の起源考察の中休み


【教材説】

 このところ怒涛の如き歴史考察を行っていたので、さすがに息抜きが必要である。鬱蒼とした森のなかにもぽっかりと開けた空間があり、たいてい泉が湧いている。当然、妙齢の美女が水浴などしているべきなのだが、現実は厳しい。

 もちろん極東の老書生たる小生がとやかくいえる筋合いのものではないのだが、どうも世界中のタロティスト諸氏は「15世紀イタリア=ルネサンス」という公式にとらわれすぎていたのではないか。ヴィスコンティ・スフォルザ版に代表されるプロト・タロットの絵柄からフィチーノ&ヘルメティシズムを読み取るのは無理としか思えない。タロットは「秘められたギリシャ的叡智の再発露」ではなく、むしろ中世キリスト教の末期症状であり、時祷書やカレンダーや免罪符といったクリスチャン・ヴィジュアルの系譜に連なるもの、その正体は日曜学校で貰えるご褒美の御絵の親戚程度のものだったのではないか。拙稿「タロットと天国」にて小生が唱えた「一枚絵説」は、すなわちタロットの原型を貴族の館における女子教育の教材と見なすものに他ならない。そのテーマは「最後の審判」なのであり、最後の審判を描いたタペストリーのあちこちに寓意札を画鋲で留めていきながら解説するという光景を思い浮かべている(タペストリーならば少々針で穴をあけても痛みが少ない)。

 元絵となる最後の審判シートやタペストリーがないため(あればタロット起源論争など終結である)、フラ・アンジェリコの審判図の上にヴィスコンティ・スフォルザ版20枚を展開するという形にしてみた。札の位置に関してはあれこれ異論が出るかもしれないし、また異論を歓迎したい。運命の輪、死、隠者(時間)、この三者の位置に関しては小生も決定的な自信がない。ただ、この三者が「最後の審判」によってその役目を終えるのは間違いないところであろう。皇帝や教皇といった権力者、ペテン師や狂人といった庶民がそれぞれ運命の輪の周囲に配されて栄枯盛衰を経験するという配置も順当であろう。

 この寓意札20枚にプレイング・カード56枚が合体したもの、それがプロト・タロットであると思われる。また、当初14枚しかなかった寓意札に6枚が加わり、さらに2枚が加わって22枚となる。この間の事情をそこそこ解釈する説として、「最後の審判一枚絵」説はどの程度の評価を得られるのか。いずれ英訳して海外タロット・フォーラム有志の批評を頂戴したく思っている。

 プロト・タロットを考察していくといわゆる「タロット・カバラ起源説」など完全に吹き飛んでしまう。最大20枚しかないクリスチャン寓意札にいかなるヘブル照応を求めるというのか。「近代タロット・カバラ採用説」というのが正しい認識なのである。


【時祷書】

 この方面も泥縄式の取り込みだったが、実り多き探求であった。とりあえず時祷書研究書を多数読みふけるわけだが、現時点で世界最高の時祷書コレクションがピアポント・モーガン・ライブラリーであることがわかったとき、こちらとしては笑うしかなかったのである。実にわれらがプロト・タロットたちはモーガン財閥が金にまかせて買いまくった時祷書群の「ついで」、「おまけ」、「その他」としてライブラリー入りしていたわけだ。ちなみにモーガン財閥に対抗する時祷書コレクションとしては、J・ポール・ゲティ美術館コレクションがあげられる。時祷書がいかにお金持ちの世界か、よくわかる。

 時祷書は中世最大のベストセラーとなり、16世紀末まで作製された。やがて細密画、木版カット、その他いろいろな部分がいろいろな物品装飾に利用・流用・盗用され、その使命を終えたのだが、小生のにらむところ、いよいよ最後のカスのような部分が「奥義書」に紛れ込んだのではないか。いわゆる「中世の奥義書」が実は近世の産物であり、早くて17世紀後半、実質は18世紀に入ってオカルト趣味の好事家のために作製されたものというのが常識的な見解であろう。

 たとえば時祷書には極力空白を回避するという習癖がある。改行によって生じる空白部分にもなんらかの装飾を施すのである。その際に用いられる唐草模様や奇妙な組み合わせ模様が「悪魔の印形」として奥義書に登場しているようである。また悪魔を呼び出すための怪しげなラテン語など、時祷書リーフをいいかげんに筆写すればあっというまに出来上がる。『グラン・グリモワール』に掲載された悪魔印形など、どうみても後期印刷時祷書の判じ絵の転用としか思えない。



上は「ソロモンの箴言」リーフに見る行末埋め草用装飾の一例。この種の模様が後世に「ソロモンの魔力を有する印形」として伝わったか、あるいは誰かがそう仕向けたか。


【教育】

 クレルヴォーの聖ベルナルドゥスは純粋瞑想による信仰を高等、画像鑑賞による信仰を下等としていたという。そして聖人の言葉はそのまま中世の教育事情に反映される。中世欧州においては、制度化された教育は男子のみを対象としており、女子教育は各家庭の方針に委ねられていた。祖母が孫娘に読み書きを教えるというのが基本図式にして理想像であったと思われる。処女マリアに読み書きを教える聖アンナの図像がそれを物語る。

 庶民クラスにあっても、むつかしい銭計算や帳簿付けは男の仕事であり、女は「神あそび」でもしておけばよいとされていたのであろう。カンタン・マサイアスの「収税吏とその妻」の風景を思い出す。



 かなり危険な話題に踏み込んでいると自覚しつつ、話を続ける。ジョン・リドゲイトを扱ったファイルで少し触れたが、カード・ゲームは1415年の時点でとんでもない悪徳と考えられていたようである。すなわちカード・ゲームの道徳的位置付けは「極悪の背教者、神を欺く似非信仰者/遊び人、カード賭博常習者、博打うち/処刑場荒らし、巾着きり」なのであり、およそ貴族のお姫様の娯楽には似つかわしくない。しかるにタロット、当時でいうトリオンフは大貴族のお姫様のゲームであり、どこかロマンティックなローズ・ガーデン・ゲームの雰囲気が漂っている。この点を考えたとき、小生は「教材説」を思いついたのである。婦女子を対象とした平易な宗教教育、すなわち日曜学校。絵札を使った「最後の審判」の解説。そして雅歌に起因するマリアン・シンボル、官能描写、ロマンティシズム。そういった要素のなかから醸成されたものがプロト・タロットだったのではないか、と。すなわち基本的に「おんなこども」のためのものであり、とるに足らぬもの、そう見なされていたのではないか。なればこそ後年、カード賭博が禁止されたときも例外として大目に見られたのであろう。

 やがてプロト・タロットの時期がおわり、タイトル&ナンバーが入るようになると、以前の上品な寓意札は消えうせ、ばりばりのギャンブリング・デヴァイスとしてドミニコ会修道士の非難の対象となった。小生はそう想定している。

 以上、休み時間の雑談にて。

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