Taxil, Leo ( Gabriel Jogand-Pages )
レオ・タクシル (本名ガブリエル・ジョガン−パジェス)
(1854-?)


☆ 十九世紀末フランスをおちょくりたおした「パラディウム団」事件の首謀者。筋金入りのプラクティカル・ジョーカーとして特筆されるべき人物。

 1854年、プロヴァンスに生まれ、マルセイユにて神学系の教育を授かる。生来、反権威、反抗的性格の持ち主だったらしく、14歳にして自由思想主義者であることを宣言、学校当局から睨まれる。その後は左翼系革命集会に参加したり、家出をして感化院に放り込まれるなど、波乱万丈の少年期を過ごす。この時期、カトリックと対立関係にあるフリーメーソンリーにも興味を抱く。
 普仏戦争が勃発すると陸軍に志願、徐隊後は反カトリック雑誌の編集長を歴任。いっちょまえの言論人として教会攻撃に終始する。
 1881年、フリーメーソンリーに入会するがほどなく退会。その後はメーソンリーを非難する側に回り、1887年にはカトリック復帰を宣言。これら一連の策動はすべて周到に計算されたものであった。
 1892年、英国人チャールズ・ハックスに各種資料を与えてバタイユ博士の筆名で『十九世紀の悪魔』なる架空暴露本を出版させる。この書物は世界各地に跋扈する悪魔崇拝の模様を紹介するもので、記述の九割はフィクションである。同書のなかで特に仰々しく紹介されたのが、アメリカはチャールストンに所在するとされるフリーメーソン系悪魔崇拝集団「パラディウム団」であった。
 続いてタクシルはパラディウム団の女司祭ダイアナ・ヴォーンなる女性を創作、彼女が前非を悔いてカトリックに復帰するという筋書きの書物を世に送りだし、一大センセーションを巻き起こす。タクシルは次々にヴォーンものの扇情的な記事を発表する一方、バタイユ博士名義で反論記事も書くというマッチポンプを演じ、騒ぎをますます大きくしていった。カトリック側はダイアナ・ヴォーンの魂の救済のためにミサを執行するなど、もはや引き下がれない状況に陥っている。
 最終的にはカトリック、メーソンリー両陣営から実物のダイアナ・ヴォーンを出せという要求が高まり、1897年4月19日、パリのサンジェルマン大通りの地理学会館大ホールにてダイアナのマスコミ・デビューが行われることとなった。
 当日、現代のマグダラのマリアを一目見んとつめかけたカトリック関係者・メーソンリー会員・マスコミ多数のまえにタクシルが単身登場し、弁舌もさわやかにすべてはプラクティカル・ジョークであったと暴露している。タクシルはそのまま近所のカフェに入り、その後の騒ぎを高みから見物したという。カトリックとメーソンリーの場外乱闘は警察が鎮圧するまで続いたのであった。

 この事件はオカルト界に多大な影響を及ぼしている。まずカトリックが説く闇の勢力などだれも信じなくなった。さらに一連の悪魔崇拝報道のためにメーソンリーが被った風評被害もかなりのものであった。タクシルの一連の記事には実在のメーソンリー会員が実名で紹介されており、当人には迷惑そのものであった。英国薔薇十字協会会員であったウェストコットもこの騒ぎで名前を出されてしまい、大いに困惑している。

主要著作 Les Mysteres de la Franc Maconnerie, Paris, 1895

参考文献 McIntosh, Christopher : Eliphas Levi and the French Occult Revival, Rider, London, 1972.: Weiser, New York, 1974.
澁澤龍彦 『秘密結社の手帳』 ハヤカワ・ライブラリー、昭和41年 : 河出文庫、昭和59年。


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