「魔術」(1901) 『善悪の観念』より

W.B.イエイツ著





われわれが合意のもとに魔術と称している実践および哲学がある。わたしはその信奉者である。この魔術のなかに含まれるものとしては、いわゆる霊の喚起があり、魔術的幻影を作り出す力があり、さらには目を閉じると心の奥底から湧き上がる真実のヴィジョンがある。またわたしは三種の教義を信じている。それは大昔から伝えられてきたと思しきものであり、ほとんどすべての魔術作業の基盤といってよい。すなわち、

(1) われらの精神の境界線は常に変化している。人々の精神はときに重なり合い、互いに思念を流し込んで一個の精神あるいは単一のエネルギーを創出する。

(2) われらの記憶の境界線も変化している。また、われらの記憶は一個の巨大な記憶すなわち「自然」そのものの記憶の一部である。

(3) この巨大な精神と記憶はシンボルによって喚起することができる。


この魔術への信念をできれば頭から追い出したいと思うこともしばしばである。わたしは人々や家屋、物品、あらゆる光景や物音のなかにある種の邪悪や醜悪を見出すようになってしまったからだ。その醜悪をもたらしたものは、魔術とその証拠を下賎としてきた幾世紀にわたる緩慢な精神的腐敗なのである。



II

およそ10年あるいは12年前、その後いろいろあって仲違いしてしまった人物がいた。実に奇妙な男であり、人が避けて通る研究に人生を捧げていたわけだが、そのかれがわたしと知人(すでに故人)に声をかけてきた。魔術実験の証人にならないかという。かれはロンドンから少し離れた場所に住んでいた。そこに向かう途中、知人が言うには、自分は魔術など信じてはいなかったがブルワー・リットンの小説にはすっかり夢中になってしまった。それで本気で魔術を研究してみる気になったとのこと。信じてみたくてたまらなかったそうである。それでつまみぐいながらジェオマンシー、占星術、手相占い、はてはカバラ象徴学なども学んでみたが、霊魂の死後残存には懐疑的であった。したがって知人は懐疑心満々で魔術作業を待ち受けていた。かれが期待していたものはロマンスの雰囲気であり、ステージさながらの幻術であった。一時間ばかし想像力を楽しませてくれるならば進んで協力しようとしていたのである。霊を喚起する術師と美しい細君が小さな家でわれわれを迎えてくれた。それは金持ちの奇人が所有する公園かなにかの周縁に立っており、喚起術師の仕事は金持ちが集めた骨董品を並べては塵をはたくことであった。かれが喚起作業を行う部屋は長方形であり、部屋の片側が台座風に盛り上がっているが、装飾は貧相かつ安っぽかった。わたしと知人は部屋の中央に座り、喚起術師は台座に、細君は喚起術師とわれわれの中間に座した。喚起術師は木製の槌を手に持ち、横に立ててあるタブレットのほうを向いた。それはいろいろな色で塗られた区画を持ち、また区画にはそれぞれ数字が描いてあった。喚起術師は一定の文言を繰り返し唱えた。たちまちわたしの想念が独自に動きはじめ、眼前に鮮明なイメージをもたらすようになった。しかし想念と呼ぶほど鮮明ではなかった。わたしの理解では、想念は独自の運動を有しており、わたしが変えようとおもっても変わらない一個の生命体なのである。白い姿がいくつか見えたように記憶している。その司教冠のような頭部は木槌の形の影響を受けたものだろうかと思っていると、突如として知人の姿が白い姿のあいだに登場した。見えたものを報告すると、喚起術師が低い声で叫んだ。「かれの姿を消せ」。すると知人の姿が消えた。喚起術師と細君は奇妙な四角帽をかぶった黒衣の男を見たという。


仲違いした知人とはマグレガー・マサース。


この知人の詳細は不明。本文中にては男性とされているがこの点も保留の必要あり。



金持ちの奇人とは紅茶商フレデリック・ホーニマン。この当時マサースはホーニマン博物館の館長職にあり、ステントロッジに住んでいた。


エノキアン・タブレット
霊視者でもある細君いわく、その黒い姿は知人の前世であるという。現在のかれを形作ったのはそのときの転生であって、その模様がこれから開陳されるとのこと。わたしにもその男が奇妙なほどはっきりと見えたように思える。物語はだいたい細君の心眼のまえにて開陳されていたが、その一部はわたしにも見えた。細君が言葉にする以前に知覚できたのである。黒衣の男は16世紀のフラマン人だという。わたしにも見えた。男は狭い街路を通り抜け、錆びた鉄製の模様付き扉の前に立った。男は中に入った。ひとつのヴィジョンをどの程度共有できているのか、それが知りたくてわたしが沈黙していると、わたしは見た。扉の内側のテーブルに死体が横たわっていた。細君の描写によると、男は長い会堂に降りていき、それから演壇に登り、語り始めた。「この人は聖職者です。かれの言葉が聞こえます。低地オランダ語のようです」と細君が言った。それから少し沈黙したのち、「いえ、間違ってました。聴衆が見えました。かれは学生に講義をしている医者です」。「扉のそばになにか見えますか?」とわたしは尋ねた。「ええ、解剖用の対象物があります」と細君が答えた。 モイナ・マグレガー・マサース
それからかれがふたたび狭い通りへ出て行くのが見えた。わたしは霊視者が語る話を追っていった。ときには言葉を聞くのみ、ときにわたし自身で見るときもあった。知人はなにも見なかった。おそらくかれ自身の前世のことだから見るのを禁じられていたのだと思う。いずれにせよかれには見えなかった。かれの想念はそれ自身の意思を持っていなかったからだ。ほどなく黒衣の男は道に面した二つ切妻の家に入っていき、何階があがって一室に入った。そこでせむし女から鍵を受けとり、長い回廊へ出ると、何階か下って大きな地下室に入る。多数の蒸留器や奇妙な形の器具がやまほどある部屋だった。かれはこの部屋に長時間とどまっているようだった。戸棚からパンを取り出して食べている姿が見えた。喚起術師と細君がこの人物の性格と習癖を論じはじめた。ヴィジョンから得た印象から判断すると、精神面では自然科学に夢中だが、想念のほうは過去の魔法物語が描く驚異にとらわれており、魔法のわざを科学の力で模倣してみようと思っているという。ほどなくとろ火にかけてあった鍋のところに向かう姿が見えた。その容器から取り出したものは無数の布に包まれた物体であった。布を一部分はがすと人間の像のようなものが見えた。だれが作ったから知らないが、造形ができていなかった。喚起術師いわく、この男は化学的手段で肉体を作ろうとしているという。いまだ成功していないが、ながらくこういうことに専念していたために多数の悪霊をひきつけてしまい、それで像は一部分生命を帯びているとのこと。テーブルの上に置くと像が少し動くのが見えたという。その瞬間わたしはなにか小さな悲鳴のようなものを聞いた。しかしわたしは黙っていた。すると死体が見えた。すぐに細君が「かすかな悲鳴が聞こえました」と言った。すると喚起術師もそれを聞いたが、こう言った。「それは悲鳴ではない。かれは蒸留器から取り出した赤い液体を布の隙間から注ぎこんでいる。隙間は像の口のあたりにあって、液体は奇妙なぼこぼこした音を立てながら吸い込まれている」。またたくまに数週間が過ぎたらしく、いまだ地下室で忙しくしている男の姿が見えた。さらに数週間が経過し、男は上階で寝込んでいた。円錐帽子をかぶった人物がかたわらに立っていた。問題の像も見えた。それは地下室にいたが、床の上を弱々しく動いていた。わたしには、像がいまいる場所から男が寝ている場所へなんとか這っていこうとする様子がかすかに見えた。わたしは喚起術師に、これはなんなのかと尋ねた。「かれの恐怖が映像となったものだ」と喚起術師が答えた。ほどなく円錐帽の男がしゃべりはじめたが、その声を聞いたのがだれだったか、わたしは覚えていない。かれは病人をベッドから出して歩かせた。病人は男に寄りかかりながら地下室へと降りていった。大変におびえていた。円錐帽の男が像のまえでなんらかのシンボルを描くと、像は眠ったように倒れこんだ。それから病人の手にナイフを握らせてこう言った、「こいつの魔術的生命はいまわたしが奪った。しかしきみが与えた生命はきみが取り去るしかない」。病人が身をかがめて像の首を切断するさまを誰かが見た。病人は自分が致命傷を負ったかのように倒れこんだ。この像にこめられていた生命はかれ自身のものだったからである。それからヴィジョンが変化し、ぶれはじめた。男はふたたび上階の寝室で寝込んでいた。ながらく病床にあるようで、円錐帽の男が付き添っていた。かれはある程度回復するだろうが、決して健康にはなれない、また今回の件が街じゅうに広まったために評判は台無しになったと、どこから聞いたのかしらないが喚起術師がそう語った。学生たちはかれのもとを去り、人々はかれを避けるようになった。かれは呪われた。かれは魔術師となった。
 物語は終わった。わたしは知人のほうを見た。かれは顔面蒼白で、畏敬の念に撃たれた風情であった。かれの言葉を出来る限り思い出してみるとこうなる。「これまでの人生、まさにそういう手段で人間を作れたらと夢想してきた。子供の頃、死体に電気を流して蘇生させる仕組みを考えていた」。ほどなくかれは語った。「多分、今世で体調が悪いのはその実験のせいだな」。『フランケンシュタイン』を読んだことがあるかどうか知人に尋ねてみると、あるとの答えが返ってきた。その場にいた人間のなかで読んだことがあるのはかれだけだった。しかしかれはヴィジョンには一切関係がなかったのである。

III

それからわたしは自分の前世を見せてくれと頼んだ。すると小区画でいっぱいのタブレットの前で新たな喚起作業が行われた。このときのヴィジョンを詳細に見たのがだれだったのか、うまく思い出せない。現在のわたしはヴィジョンそのもの以外にはあまり興味がなくなっているからだ。方法に関してはすでに結論に達している。ヴィジョンはその一部分を複数の人間が共有できるとわかったのだ。
 鎖帷子をまとった男がお城の扉を通過した。霊視者は城のなかの部屋のあまりの荒廃ぶりに驚いた。通常期待されるような豪奢も装飾も皆無だったからだ。男は広いホールに出て、そこから通ずる小さな礼拝堂に向かった。そこでは儀式が行われていた。白いドレスを着た六名の少女がおり、祭壇からなにか黄色いものを手にとっていた。おそらく黄金だと思われた。だが知人のときと同様、わたしはそれを見てはいけないといわれていた。だが見ずにはいられなかった。だれか別の人が、それは黄色い花だと言った。はっきりと思い出せないが、少女たちがそれを男の両手の上に載せた。それから男はしばらく外に出た。大広間を通過する際、墓石がふたつ見えたとだれかが言った。ここでヴィジョンが一旦途絶えた。ほどなくヴィジョンが再開されると、かれは武装した兵士たちに混じって僧服姿で村の中央に立ち、羊皮紙を読み上げていた。男は村人をまわりに呼び集めた。それから男と兵士たちが長い船旅に出た。ここでヴィジョンが途切れたが、次に明瞭に見えたとき、かれらは聖地らしき場所に到着していた。かれらはナツメヤシの林のなかで聖なる労働らしきことに従事していた。平民たちはぼさっと突っ立っていたが、郷士たちは一定の方向から大きな石を運んできては要所要所に配置していた。その行為自体が儀式的形式性を帯びていたと思う。霊を呼び出す喚起術師いわく、かれらはメイソン会館の類を造っているにちがいないという。隠秘方面の研究者の例外にもれず、かれもまた常にメイソンリー的思考を忘れず、不思議な場所と見れば必ずメイソンリーを見出すのであった。
 われわれは食事をとるべく一旦ヴィジョンを中断した。一定の言葉を唱えて中断したのだが、その言葉は忘れてしまった。食事が終わったとき、霊視者である細君が驚きの声を発した。われわれが食事をしているあいだも、かれらは工事を続けていて、かれらが造っていたのはメイソン会館ではなく、巨大な石の十字架だというのだ。兵士たちはみなどこかに行ってしまったが、鎖帷子の男と見知らぬ僧侶二名が残っていた。男は十字架に対面する形で立っていた。両足は地面から少し顔を出している石に乗せてあり、両腕は広げていた。かれは日中、ずっとそこに立っているらしい。しかし夜になると小さな岩屋に入った。すぐそばにさらに二つの岩屋があった。かつてアラン諸島で見た岩屋に似ていると思うが、はっきりとはわからない。ずいぶんと日数がたったらしい。毎日、男は日中は十字架のうえに立っていた。男と二人の僧以外にだれも見えなかった。何年も経過したらしい。われわれの眼前をヴィジョンが風に舞う木の葉のように飛んでいった。男は年をとり、白髪になっていた。二人の僧も白髪となり、十字架上の男を支えていた。わたしは男がここに立つ理由を喚起術師に尋ねてみた。すると喚起術師が返事をするまえにわたしは見た。十字架上にたつ男の目の前に、まるで夢の中の夢のように二人の男女が現れたのだ。喚起術師もまた二人の男女を見た。一人が腕を差し上げたが、手首から先がないの見えたとのこと。わたしは大広間を通るときに見たふたつの墓石を思った。鎖帷子の男が礼拝堂から出てきたときに見えたものだ。そこでわたしは喚起術師に尋ねた。鎖帷子の男はなんらかの暴力行為の改悛を行っているのではないか。そうかもしれないしが、自分にはわからない、と喚起術師が述べているうちに、ヴィジョンは終幕を迎え、消えてしまった。
 わたしの見るところでは、このヴィジョンは知人に関するそれに較べて個人的な意味を持っていなかった。しかし確かに不思議であり、また美しかった。もっともその美しいと思ったのはわたしだけのようだった。これが物語に過ぎないとすれば、だれが作った物語なのか? わたしではないし、霊視者の細君でもない。喚起術師でもない。それは三人の精神のなかに起きたものである。知人は無関係だったように記憶しているからだ。このヴィジョンは混乱も苦労もなく発生した。難しかったのは心の目を眠らせずにおくことくらいで、またいかなるペンをもってしても追いきれないほど素早く展開された。ブレイクがとある詩で述べたように、このヴィジョンを作った者は永遠のなかにあったのかもしれない。それから何年ものあいだ、わたしはこの手のヴィジョンを多数見ることになった。それがいわゆる前世であると納得はしなかった(しかけたことも数回ある)が、その時々の人生観や人生の転機となる出来事と一定の関係があることは理解できた。たいていの場合、それは人生観や出来事が一連のシンボルとなり--あるいは人生観や出来事を形成した衝動の痕跡がシンボルとなり--質問者の先祖的なものから発せられるメッセージという形をとったものと思われた。ただし上述のヴィジョンはそれには当てはまらなかったのであるが。
 当時、自分の感想を思い出してみると--これらのヴィジョンが指し示すものは想像力の優位性の証左であり、複数の精神がひとつになれる能力を有するという事実であった。すなわち語られる言葉と語られざる思念によって一方の精神が他方の精神を圧倒し、両者を単一の強力かつ歯止めのないエネルギーにしてしまう力があるという実感であり、それ以上の意味はあまりなかったといえる。主となる精神が存在するのは疑問の余地がないが、あらゆる精神はそれぞれ少量を出し合い、しばらくのあいだ超自然芸術家と呼称すべきものを創造する。あるいはその存在を明らかにするのである。

IV

lそれから数年後、わたしは友人たちとパリにいた。朝食前に起床し、新聞を買うために外出した。召使がいることに気が付いた。数年前に田舎から出てきた娘で、朝食のためのテーブルを準備していた。彼女の横を通り過ぎるとき、わたしは一連の物語を考えていた。到底他人には教えられない、個人的なあほらしい物語だった。あのときああしていれば腕を怪我していたはずだ、などと考えていた。子供っぽい冒険話のなかでわたしは三角巾で腕を吊っていた。新聞を手に入れて戻ってみると、戸口のところで主人夫妻と出会った。かれらはわたしを見るや叫んだ。「おい、女中の話じゃ、きみは腕を吊っていたというじゃないか。昨晩なにかあったにちがいないと思っていたんだ。馬車に轢かれたとか」云々。前夜わたしはパリの反対側で外食していて、みんなが寝たあとに帰っていたのだ。わたしは女中に強力な想念投射を行ってしまい、そのため彼女はわたしの想念を見てしまったのだ。それも肉眼で見たと思い込むほど強いものだったのである。
 同時期、ある昼下がり、わたしはとある同好の士のことを熱心に考えていた。かれにメッセージがあるのだが、それを書くべきかためらっていた。数日後、数百マイル離れた場所から手紙を受け取った。同好の士はそこに滞在していたのだ。書簡にいわく、ちょうどわたしがかれのことを熱心に考えていた時刻に、わたしが突如ホテルのなかに人ごみにまぎれて出現したそうである。まるで肉体を備えているかのようにはっきりした姿だったとのこと。同好の士にはわたしが見えたが、他の人には見えなかった。そこでわたしに、みんなが帰ってからまた来てくれと頼んだ。わたしは消えたが、真夜中にふたたび現れ、メッセージを伝えたという。わたし自身はどちらの生霊現象にも身に覚えがなかった。
 個人の強大な精神力が距離を突破するという事態はめったに起きず、むしろ各人の深層部が解放された結果として突破するというほうが正しい。そうでなかったならわたしはもっと不思議なイメージを語ることができる。友人やわたし自身が意識的あるいは無意識的に放ったもっと不思議な魅惑や想念が距離を超える話をしてもよい。しかしその突破が起きるのは、公表するにはあまりに個人的あるいは神聖すぎる出来事のさなかであり、理由はわからないがいわゆる「隠された事物」に属するものになってしまう。ここまでわたしは突破というか深層の解放のことをある程度慎重かつ詳細に書いてきているが、これから先は自分の記録に関して口をつぐみたく思う。結局のところブレイクも言うように、この種の話を続ければ不信や誤解や嘲笑を耐え忍ばねばならない。奇怪な現象の目撃者としては、そこまでして信じようとしない人間を納得させるくらいなら、信じる自分を保護するべく沈黙するほうがましなのである。わたしとしては、過去にもわたし同様この種の事物を信じていた時代があったということを、ジョセフ・グランヴィルが語る「学者ジプシー」を引用して一例としたい。グランヴィルは故人であるから不信も誤解も嘲笑も気にしないであろう。
 学者ジプシーのほうも故人である、とは思うが、完璧なる賢人魔術師は死ぬ気になるまで生きることができるというから、いまでもどこかを放浪しているかもしれない。無論その風体はアーノルドが語る「バークシャーの荒れ野、さびれた酒場の暖かいベンチにひとり」ではないだろうし、「テムズの上流、バブロック・ハイズにて瀬を渡る」こともしないだろう。冷たいせせらぎに指を遊ばせたり、「緑なす五月、ファイフィールドの楡の樹のまわりで踊るために遠い村から来る乙女たち」や「とこしえに生えしげる川岸に座す乙女たち」に「やわらかい葉の白いアネモネと夏の夜露を滴らせるブルーベルの花束」を贈ったりはしないかもしれない。ジョセフ・グランヴィルの物語は以下の如し−−

 「つい最近の話だが、オクスフォード大学の学生に多芸多才なれどいまひとつ向上心に欠ける若者がいた。これが貧苦のために学問を捨てざるを得なくなり、生計を立てるべく世間の荒波に身を投じたのである。結局日々の暮らしにも困るようになり、友人知己の助けも得られないため、ついに放浪ジプシーの一団に加わってしまった。若者は以前からこの連中と付き合いがあったからであり、ともかくも食い扶持を稼ぐべく連中の商売を習い覚えたのである。しばらくしてジプシー稼業も板についてきた頃、若者は以前の知り合いであった学者たちと路上で遭遇した。学者たちはすぐにジプシーの一団に昔の仲間がいることに気がつき、大いに驚いたのである。しかし若者は合図を送って機先を制し、学者のひとりをそれとなく脇へ導き、仲間とともにその先にある何某という旅籠で待っていてくれ、自分もあとからいくからと約束したのである。学者たちがそのとおりにすると、若者もついていった。その後、挨拶を交わしたのち、学者たちは質問した。どうしてそんなやくざな生活をする羽目になったのか、なぜ乞食の一団に身を寄せているのか。学者ジプシーは貧乏に至った経緯を説明する一方、かれがともに暮らす人々は世間一般で言われているようなペテン師ではないと語った。かれらなりに伝統のある知恵を保有しており、想像力の力でいろいろと不思議のわざをなすことができる。自分もかれらの術の多くを学んでおり、かれら以上に磨きをかけてきたという。これからそれが本当だということを証明してみせよう。自分はしばらく別室にさがるから、適当に話し合ってくれ。戻ってきてからなにが話されていたのか当ててみせよう。学者ジプシーは言葉通りにふるまい、かれの不在中に交わされた会話をすべて語ってみせたのであった。学者たちはこのありえない芸当に驚倒し、ぜひとも種明かししてくれと頼んだ。学者ジプシーが答えていわく、これすべて想像力のなせるわざであり、かれの幻想が学者たちのそれをリードしていたのだという。なにを語るべきかはかれが別室から指示していたのである。すなわち想像力を高揚させて他者のそれを変化させる実証済みの方法があるのだという。ジプシーたちの秘密の一部はいまだかれにもわからないという。すべてを会得したならかれらのもとを離れ、学んだすべてを全世界に教えるつもりだと語った。

こういった出来事を語り継いできた人々が夢を見ていたのでなかったとしたら、われわれは歴史の書き直しを迫られるであろう。あらゆる人々、とりわけ想像力豊かな人々はみな、魅惑や幻惑を投射してやまないからである。そしてあらゆる人々、とりわけ強烈な自己中心的生活を送らないもの静かな人々はみな、魅惑や幻惑の力の影響下にあるにちがいないからである。わたしの見るところ、われらのもっとも複雑な思想、手の込んだ目標、明確な感情などは、ときにわれら自身のものではなく、天から降ってくるのか地獄から湧き上がってくるのか、突如として生じることが多い。歴史家の考察対象は王侯や軍人、策謀家や思想家のみならず、天使や悪魔も入るべきであろうか。天使や悪魔が人の想像のなかで最初に有機体をまとって出現していたとしたらどうなるのだ? 実際過去の作家のなかにはそう信じていた者もいる。ブレイクが信じていたように「神ご自身は存在ないし人間のなかにおいてのみ活動する」としたらどうなるのだ? 目に見えない存在、はるかかなたまで漂い影響をおよぼす想念、荒野の隠者から発せられるもののけが枢密院や書斎や戦場に垂れ込める可能性をわれわれは認めざるをえない。このところ多くのドイツ人たちがあれこれ記している強力な思想と想像力の運動があり、それが人心に微妙な変化を及ぼしつつある。その発端がワイン圧搾機を踏んでいる女性であるかもしれない。実に多数の国々が剣を交えるに至ってきた激情が、もともとはどこぞの羊飼いの少年のなかで始まり、かれの瞳を一瞬輝かせてから、そのまま突き進んでいったのかもしれない。われわれにはそうではないと確信できる材料がないのである。

 
学者ジプシーの話はJoseph GlanvillのVanity of Dogmatizing(1661)に収録されている。この話をもとに創作されたのがMatthew Arnold の "The Scholar Gypsy"(1853)
V

野蛮人のほうがこの種の影響力を目に見えるほど強く受けているのは間違いないのである。都市居住者であるわれわれに較べて、より簡単かつ十分に影響されていると思われる。都市の喧騒は受動的瞑想的生活にとっては致命的であるし、また自律・自動的精神をはぐくむ教育のせいでわれわれの魂の感受性がますます鈍感になっているからだ。われらの魂はかつて天上の風を素肌で感じていたのであるが、いまやぶくぶくに着込んでしまい、家を建てて暖炉に火をともし、扉も窓も閉めてしまうことを覚えてしまった。もちろん今でも天上の風は扉の隙間から吹き込んでわれらを暖炉の近くに押しやったり、絨毯をもちあげたり、ひゅうひゅうと音をたてたりもする。しかし大昔、平原にて風に遭遇した場合は害のほうが多かったといえるのである。アンドリュー・ラングが『宗教の成立』において論じていわく、原始人が遠隔地のことを考える際、その集中を妨げるものがなにもないがゆえにそれは記憶と一体となり、ほぼ幻覚の域に達するにちがいないという。この説明はわたしには納得のゆくものではないが、ともあれラング氏は数種の旅行記を引用して野蛮人が常時ヴィジョンの境界線上で生活していることを例証しようとする。キリスト教徒になりたいと思っているラップランド人がおり、ヴィジョンの類は異教のものでしかないと考えていた。この男はとある旅行者に遠隔地での出来事をあれこれ詳細に語ったのち、「自分の目の使いかたがわからない。遠くの物事も目の前に見えるから」と告白したという。わたし自身、ゴルウェイの一地区を探し回って、いわゆる霊を見たことがないという人は一人しか見つからず、しかも耄碌した老人だった。「牧場で草刈りをしていれば、なんだかんだ霊を見るもんだ」と別の地区の男が言ったこともある。
 
 もしわたしが自分の意図とは無関係に魔力なり魅力なりを投射できて、それが大都市に長年居住してきた現代人にも効果があるというのであれば、古代の術師たちがはるかに強力な魔力を意図的に放ち、より鋭敏な古代人たちがそれに大いに影響されていたと想定しても無謀ではないであろう。あるいは現代であっても、古代からの生活が連綿と継承されてきたような場所であれば、いまだに人は同様の魔力を投射できることに疑問の余地はないのである。学者ジプシーが友人に術をかけていたとしてなんの不思議があろうか。聖パトリック一行が鹿の群れに変身して敵をやりすごしてもよいではないか。『アーサー王の死』に登場する魔術師たちが騎馬隊を灰色の石像に見せかけてはいけないのか。この手の話に鈍感になっていたはずの文明国すなわちローマの軍人たちが、モナのドルイド僧たちの魔力のまえに打ち震えてもよいではないか。イエズス会の神父だったかサンジェルマン伯爵だったか、十二門すべてから街を出て行く姿が同時に目撃されてなんの不都合があろうか。モーセとファラオの魔術師たちが杖を蛇に変えて互いを呑みこみあい、原始的部族のまじない師が古いロープを用いて同じことを行ってもよいではないか。中世の魔法使いが真冬に夏の花を咲かせてもなんの不思議があろうか。
 
 われわれがこの手のことに思い至り、歴史を書き直す必要性を悟る日がくるであろうか。
 今日、想像力を駆使する作家たちが他者の想像力により直接的に影響を与える手法を選択したとしても当然であろう。紙とペンを使う文章技法を学ぶよりも、数時間静かに座って自らを森の切り株や岩や獣であると想像し、そのイメージをたまたま通りがかる人間すら巻き込めるまでに鮮烈なものとする。そうすれば他人は作家の夢想の一部となり、泣くも笑うも逃げるもすべて作家の思いのままとなるであろう。詩も音楽も、もとはいえば術者が自分と他人を魔法にかけるための一助としてきた物音から生まれてきたのではないか。まさにこの種の言葉すなわちあらゆる音楽や詩の賛辞の部分が自らの起源をわれらに名乗りあげてやまないのである。音楽家や詩人が他人の心のみならず自らの心をも魔法にかけてしまうように、術者は他人と自分のために超自然的芸術家あるいはゲニウスを創り出す、あるいはゲニウスの存在を明らかにする。このゲニウスは一見すると多数の精神から創り出される移行移行的一時的精神であり、その機能は例の郊外の一軒家でわたし自身が見た、というか見たと思っている。かれはまた自らが大いなる魂を宿す状態すなわち世界のゲニウスになっているあいだ、他の小さなゲニウスすなわち家系のゲニウス、部族のゲニウスなどの扉は閉めたままにしていた。われわれの歴史は思想や発見を語るが、古代にあって人々がこれらの扉を見ていた時代、語られる歴史は戒律や啓示であったと思われる。古代人は慎重かつ辛抱強くシナイ山と雷雲を眺め、われわれは議会や研究所に同様の視線を送っているといってよい。われわれは個人的人生を完成させた人物を賞賛してやまないが、古代人はあらゆる完成の基盤ともいうべき一個の精神を賞賛していたのである。
 
VI

 かつてわたしは修道院付属校を出たばかりという若いアイルランド女性が深いトランス状態に入るさまを目撃した。ただしいかなる催眠術師も知らないような手法が用いられていた。通常の起きている意識状態では、彼女はイブが食べたリンゴは八百屋で売っている類だと思っていた。しかしトランス状態の彼女が見たものは、嘆息する魂の群れが樹液のかわりに枝々を伝いめぐる「生命の樹」であった。葉のあいだにはすべての鳥たちがひしめき、一番高い枝には王冠をかぶった白い鳥がいたという。わたしは帰宅すると本棚からユダヤの古文書「隠された神秘の書」をとりだした。ペーパーナイフでページを切り開いていくと次の一節にたどりついた。「その樹は善悪の知識の樹である。その枝には鳥がやどり、巣をつくる。魂も天使もそれぞれの場を有する」。わたしはこの一節を以前に読んだことがなかったと思う。
 かつてわたしはアイルランド教会の信者である若者が同様のトランス状態に入るさまを目撃したことがある。かれは西アイルランドの銀行員だった。かれもまたイブのリンゴは八百屋のリンゴと思っている人種にちがいなかったと思う。しかしかれもまた樹を見た。枝を伝いめぐる魂の嘆息も聞いた。そして人間の顔を持つリンゴを見た。耳をつけてみると中から万軍が戦い争うような音が聞こえたという。かれは少しのあいだ樹から離れ、エデンの周縁にやってきた。そこでかれが見たものは日曜学校で習った荒野ではなかった。かれは「高さ2マイル」という高い山の頂にいる自分を見出した。およそ通常の覚めた意識ではかけはなれた光景といおうか、頂上全体が巨大な城壁庭園となっていたのである。数年後、わたしはとある中世の図版を発見した。そこにはエデンが高い山の上にある城壁庭園として描かれていた。
The Book of Concealed Mystery マサースの『ヴェールを脱いだカバラ』に収録されている。
 こういった複雑怪奇なシンボルはどこから到来してくるのだろうか? わたしも、出席者数名も、いや霊視者その人ですら「隠された神秘の書」の一節や中世の図版を見ていなかったと断言できる。この種の画像が一瞬で出現し、細かい部分まで完璧である点を思い出してもらいたい。わたしや出席者あるいは霊視者がかつて画像を目にしていて、その後忘却していたとする−−あるいは超自然的芸術家がわれわれの記憶の底に埋没しているものの内容を知っていると仮定し、それがエデンの画像の遠因であると想定することはできる。しかしそうなれば遠因候補となるヴィジョンは他にも無数にある。われわれとしては「およそありえないような、しかし実は知っていた」という状況ですべて説明がつくと、そう思い込むにも限界があるのである。たとえば1897年12月27日付のわたしの日記にいわく、某霊視者にアイルランドの古いシンボルを与えてみると「ぎらぎら光りながらくねる蛇」を差し出す女神ブリギドが見えたとある。つい数ヶ月前に『カルミナ・ガエデリカ』が出版されるまで、蛇とブリギドの関連などわたしも霊視者もまったく知らなかったのは確実である。さらに読み書きができないアイルランド人老婆は、ダイアナのような女性を見たとわたしに語った。兜をかぶって短いスカートをはき、サンダルと編み上げ靴のようなものをつけていたという。わたしはアイルランドで無数のヴィジョン話を収集してきたし、わたしに代わって友人たちが集めてくれた話も多い。しかしどの話をとっても異なる時代の服装を混在させている例はひとつもないのはなぜか? 霊視者といえども伝承を頼りに話をするとなにもかも混ぜてしまう。フィン・マック・クールがコークのアサイズ巡回法廷に出かけるといった内容を口走ってしまうのだ。この種の事物にかかずらわった人はほぼ全員、トランス状態にせよ夢見にせよ、なんらかの新たなシンボルないし出来事に遭遇する。しばらくたつと、そのシンボルや出来事はそれまで見たことも聞いたこともなかった作品のなかに見出される。この種の事例はいまだろくに分類されておらず、分析もあまりに少ないため、部外者を納得させるにいたらない。しかしそれを経験した人間にとっては、隔絶した世紀の出来事や象徴をあかす「自然の記憶」が存在するという、実に十分すぎるほどの証拠なのである。古今東西、あらゆる国の神秘家たちがこの記憶のことを語ってきた。魔術伝統を担ってきた正直者も山師たちもこの記憶にもっとも重きを置いている。かれらの魔術はいずれ民俗学の一分野として研究されるであろう。かつてわたしは『パラケルスス』でも読んだしインド関係の書物でも読んだことがあるが、過去の人々はいまだ「記憶」のなかで生きているのであり、そのなかにて「ものを思い、ことをなす」という。またわたしはウィリアム・ブレイクの予言書に次の一節を見出している。すなわちブレイクがこの「記憶」のイメージを「ロスの会堂の輝く彫刻」と述べている。すべての出来事、「すべての恋物語」はこの像たちから新たに生まれてくるという。おそらくこういったことを信じている人間が実に少数なのはいいことかもしれない。多数の者が信じたなら、議会や大学や図書館を飛び出し、騒擾なる精神を鎮めるべく痩せ衰え、死者が日々通る扉を生身のままで通過していたことであろう。賢者たるもの、永遠の事物が手近にあると思えば、なにゆえわざわざ立法したり歴史を記したり地球を計量したりするであろうか?

Finn mac Cumhal アイルランド神話に登場する猟師にして戦士。


Paracelsus (1835) Robert Browlning が発表した詩
VII

 わたしの魔術日記の1899年分に以下の記述がある。悪夢を見て午前3時に起きてしまい、再発を防ごうとあるシンボルを想像し、さらに別のシンボルも想像した。後者のほうは簡単な図形であり、こちらを使うことで緑に囲まれた気持ちのよい夢を見ようと思ったのである。大変眠かったから想像の仕方が弱かったが、そのまま眠りについた。シンボルとは無関係な混乱した夢を見てしまった。わたしは8時に起きたが、しばらく悪夢もシンボルのことも忘れていた。ほどなくわたしはうとうとしはじめ、半分寝たような起きたような状態のなか、巨大な花々と葡萄を見た。わたしは目を覚まし、いま見たものは例のシンボルに属するものだと認識した。それから昨晩それを使ったことを思い出したのだ。別の記録は上の件からしばらくたってからのものである。わたしはとある人物の頭上にあるシンボルを想像した。その人は若干の霊視力を持ち合わせており、わたしが用いたシンボルは元素の空気と水を組み合わせたものであった。その人はわたしがいかなるシンボルを用いたのか知る由もなかったが、嘴にザリガニを咥えて飛翔する鳩を見ている。また1898年12月13日には女性霊視者にとある星型のシンボルを用いている。シンボルを熱心に見つめてもらうと霊視が始まった。荒っぽい造りの石の家があり、家のなかに馬の頭蓋骨が置いてあるという。その数日前にも別の霊視者に同じシンボルを用いており、かれもまた石造りの家を見ていた。ただし家の中にはトールのハンマーのしるしがある布がなにかにかけてあった。その布をのけるとダイヤの歯となにか鈍い色の宝石の眼をした黄金の骸骨があった。この最後のヴィジョンには自分で注釈をつけており、少しまえに太陽関係のシンボルを用いていたことを指摘している。太陽関係のシンボルは往々にして黄金と宝石のヴィジョンを招くのである。以上は論拠の補強ではなく、具体例として紹介している。同じような経験をしたことがない人、あるいはわたしの論点に近い場所にいたことがない人は、この主の話をされても胡散臭く思うであろうし、それはきわめて自然な懐疑心であろう。それはわたしも百も承知している。わたしとてシンボルが固有の力を持っていることを認めるのに長い時間を要した。想像力が他者に及ぼす力、あるいはテレパシーでだいたいの説明がつくと思っていた。SPR心霊調査協会あたりが言いそうなことである。シンボルが強力に思えるのはこちらがそう思っているだけであって、なくてもかまわないはずだと考えていた。その頃わたしは単に想像するだけのシンボルではなく、いろいろと工夫してこしらえたシンボルを用いていた。ヴィジョン実験につきあってくれる人物にそれを渡し、眺めるのではなく、額のあたりに押し付けてくれと頼んでいた。しかも時折わたしはミスをやらかしていた。ミスをすると霊視者は混乱したヴィジョンを見ることになるのだが、それによってわかったこともある。たとえばわたし自身がシンボルを想像していなかった場合、ヴィジョンを生み出すのはわたしが間違って与えたシンボルなのである。それからわたしはある霊視者にこういわれたことがある。「わたしは四角い池のヴィジョンを見ましたが、あなたの思念も見えました。あなたが期待していたのは楕円形の池ですね」。あるいは「あなたが想像していたシンボルのおかげでわたしは水晶を手にした女性を見ました。しかしわたしが見るべきものは月明かりに照らされた海だったのです」。そのシンボルを用いれば典型的な場面、出来事、人物等を呼び出しそこなうことはないのである。しかしいかに鮮烈に想像しようとも、わたしひとりの想像力では当の場面、出来事、人物を呼び出すことが事実上不可能なのであり、せいぜいうまくいったとしても二種のヴィジョンが同時にわきあがるのであった。
 いまやわたしはシンボルこそあらゆる力のなかの最強のものと考えざるをえなくなっている。大魔術師たちが意識的に使うシンボルも、魔術師の末裔たる詩人や音楽家や画家が半意識的に用いるそれであろうとも、大変な力を発揮するのである。当初わたしはシンボルにもいろいろあると分類を試みていた。いわゆる固有シンボルと恣意シンボルという分類であったが、結局この種の区分も無意味となってしまった。シンボルの力が外側からくるのか否か、あるいはその起源はいいかげんなものなのかどうか、それはどうでもよいのである。ようするに「大いなる記憶」がシンボルをある種の出来事や気分や人物に関連させている−−それゆえにシンボルは作用する、とわたしは考えているからだ。人の情熱がなにかに集中すれば、それは「大いなる記憶」のなかでシンボルとなり、さらにその秘密を知る人の手にかかれば不思議発生器にして天使や悪魔に通じる電話番号となるのである。シンボルにはあらゆる種類がある。天地の万物は一瞬であれ些細であれ「大いなる記憶」と関連をもつのであるから、一個のシンボルにいかなる過去が秘められているか、忘れ去られた出来事が潜んでいるのか、わかったものではない。毒キノコやブタクサのように、それに接しただけで大変な発作をもたらす可能性もあるのだ。アイルランドの物知りたちは伝承薬を分類するにあたり、医薬的成分による治癒をもたらすものと魔術作用をもたらすものを区別する場合がある。後者の薬は、たとえば亜麻の殻であったり、楡の樹の又にたまった水であったりするが、こういったものの目的はわれらのなかの心の底の深い場所に治癒的エネルギーないし催眠的コマンドを呼び覚ますことにあると思う。そういった深い場所でわれらの心は「大いなる心」とまじりあい、「大いなる記憶」によって拡張されるのである。この種の行為はいわゆる信仰治療ではない。なぜならそれは子供や動物にも用いられて大いに効果を発揮しているのであり、この点はあらゆる国の伝承が確認してくれるだろう。そしてわたしにはこれこそ古代人の手に安全に委ねることができた唯一の治療法であったと思われる。間違った葉を摘んでしまえば病気が治らないだけでなく、口に入れてしまえば中毒すら起こすからである。

VIII

過ぎゆく日々を従容かつ嬉々として受け入れられず、自らの時代と争ってやまない痩身にして激烈たる精神の持ち主たちが大勢いる。そのなかにあってわたしが何事にも意欲的に取り組んでこられたのは、これまで述べてきた魔術への信念のおかげである。そしていまわたしは自分が書き記してきた内容を眺めて少し驚いている。古代の秘密に関して、いささか解説が過ぎたというか、同好の士のなかにはここまで書くのはいかがなものかと思う人もいるだろう。わたしは経験を通じてそれは多くの不可思議を信じるに至ったため、経験していないことでもその真実を疑うことはめったにない。さらにいえば、古代の秘密にはそれを見張るものたちがいて、あまりに多くを語る人間には怒りを発する、というか復讐するといわれている。これはあらゆる伝承に見られる話である。アラン諸島では、妖精関連のことを語りすぎると舌が石になるとされている。そしてわたしも自分の舌がただ重く不細工に感じられること一再ならずであった。もちろんこのあたりは自己暗示その他の自然的要因を求めることも可能であろう。とはいえ、この小論を書いているあいだ、どうにも不安な気分にさせられ、二三のパラグラフを破り捨てたというのも事実である。それも文章上の出来不出来といった事由ではなく、思わず書いてしまった出来事やシンボルが、おそらく読者には意味不明であり、それでいて隠された事物に関連しているように思われたからである。それでもわたしは書くしかない。書かなければ善悪いずれの陣営にとっても無益の代物になるだけである。わたしは書き言葉というこの船に自分の知恵という荷物を積み込むことに専念するしかない。思い返せば、わたしはこれまで多くの船が出帆するさまを見送ってきた。書き記した言葉が韻文だったというだけで、内心に抱え込んだ不安は同じだったのである。ものを書く人、あるいはいろいろな物事を目撃する人は、やめておけという心の叫びを耳にすることが多い。隠された事物に抵触するがゆえに心が異議を唱えるのである。叡智を語る者は、世の中の雰囲気が変わってきたとき、それを妖精族の怒りとして身を慎む必要があるという。これはわからない話ではない。妖精族の国は世界の中心、「生ける心臓の国」にあるからだ。弁舌と沈黙のあいだにある小道をうまく渡り、内密の啓示に出会える人とはどういう人物であろうか? そして確かにわれわれは、いかなるリスクを背負おうとも声を大にして叫ぶ必要がある。想像力はつねに「大いなる心」のなかにある衝動とパターンにそって世界を再構築しようとしている。あるいは衝動とパターンは「大いなる記憶」のなかにもあるといえようか? ロマンス、詩歌、知的美こそ、至上の「魅惑者」あるいは「天上の議会の一員」が語る唯一の合図である。時間の流れのなか、かつてありしこと、ふたたび起こるであろうこと、それを示す手がかりがここにあると声を大にする。これほど重要なことがほかにあるだろうか?

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