Yeats, W[illiam] B[utler]
W.B. イェイツ 
(1865-1939)

魔法名 Demon Est Deus Inversus (5=6, G.D.)


☆ 「黄金の夜明け」団の最有名人。1923年度ノーベル文学賞受賞者にして、アイルランド文芸復興の立役者。今世紀最高の詩人の一人。

 イェイツの魔術傾向は若年時より顕著であり、アイルランド名物の妖精譚や幽霊譚に浸りきった少年時代を送っている。長じてはAEの影響を受け、主観的実体験としての「ヴィジョン」を言語に置換することに興味を抱くが、同時に、ある種の言語や象徴を「ヴィジョン」誘発の引き金として用いることも思いつく。ゆえに、「ヴィジョン」とそれに関連する言語と象徴に満ち溢れているオカルト界に足を踏みいれたのは当然であったといえよう。

 イェイツが本格的に隠秘学に染まり始めたのは1885年、ダブリンに於いて自ら「ヘルメス協会」を組織した頃である。この協会は実質的には同好の士の読書会どまりであったが、AEも参加している。ここでイェイツはA.P.シネットブラヴァッキーの著作に接し、1885年には後者の弟子であるモヒニ・チャタージ(バラモン階級出身のインテリであり、神智学のみならずインド的神秘思想全般に精通していた人物)の講演に接して深く影響を受ける。
 1887年、ダブリンからロンドンへ移住したのを機会にブラヴァッキーに接触し、神智学協会に入会するが、当時の幹部連と気が合わずに2年足らずで退会となっている。

 イェイツの「黄金の夜明け」団参入は1890年3月7日のことであるが、その数年前からすでにマサースと大英図書館で出会っており、神智学協会会員にして「黄金の夜明け」団団員でもある数名とプライベートな集会を組織していたから、神智学協会からの移籍は支障なく行われている。

 ある意味では、イェイツほど「黄金の夜明け」団に於いて公私混同をなした人物も少ないであろう。彼は自分の参入からわずか4か月後に当時のガールフレンドであったフロレンス・ファーを団に勧誘しているし、1891年には見果てぬ夢の女性モード・ゴンを説得して入団させている。皮肉なことに、彼と切れたファーは後に団内で頭角を現したのに、肝心のゴンにはすぐに逃げられてしまった。 イェイツはファーとともに1900年のマサース追放劇の主役をつとめ、クーデター後に「黄金の夜明け」団のインペレーター
1に就任しているが、その直後にアニー・ホーニマン vs ファーの大喧嘩が突発し、事態の収拾もならぬままインペレーターを辞任している。

 「黄金の夜明け」団に於けるイェイツの立場は微妙なものがある。彼は5=6ではあるが、5=6の上部位階であるTh.A.M.には昇進しておらず、彼の発言権の大部分はマサースと親しく交わっていたことに起因するものであり、また神秘思想の解説に長けていた点が買われたものといえる。

 インペレーター辞任後、イェイツは団内で積極的な立場をとることなく、1903年の団最終分裂後は、そのまま流される形で「暁の星」団に居残っている。「暁の星」団に於いてイェイツは7=4にまで達しているが、この種の位階はまず無意味といってよい。この時期の最大の収穫は後の夫人となるジョージ・ハイド−リースとの出会いであろう。イェイツが彼女と知り合ったのは1911年のことであるが、例によって例のごとく、1914年には彼女を「暁の星」団に引き入れている。
 1917年、イェイツは、よせばいいのにモード・ゴンにしつこくプロポーズして断られ、何を考えたのか続いてゴンの養女に言い寄って当然ながら拒否されて男を下げた後、10月21日、あたかも予備にとっておいたようにハイド−リースと結婚している。結婚に至る状況はむちゃくちゃであったが、夫妻の仲は良く、新婚4日目、新婦は現在『ヴィジョン』として知られる一連の霊界通信文書の自動筆記を始めている。

 1923年、「暁の星」団の潰滅を契機に儀式魔術活動から足を洗うと、まるでご褒美のようにノーベル文学賞を受賞。彼の詩人としての国際的評価は確固たるものとなる。 「暁の星」団潰滅後、イェイツの研究題目は主に東洋神秘思想であり、英訳された『太乙金華宗旨』に夢中になったり
2、ほぼ晩年に至ってクロウリーばりの性的熱狂の詩を発表するなどして、研究家を困らせている。魔術的に見るならば、クンダリニー・ヨガでも実践していたのであろう。

 1939年1月28日、心臓麻痺で死去。

 肖像画はパメラ・コールマン・スミスが鉛筆にて描いた似顔絵(1901年10月)。イエイツ本人のサインも入っている。

1. この記述は決して間違いではないが、「黄金の夜明け」団のインペレーターとは即ち0=0から4=7までのファースト・オーダーの指導責任者を示すのであって、5=6から7=4で構成されるセカンド・オーダー内では何の権限も有さないという点に留意すべきである。イェイツがマサース追放後の団運営にあれほど苦労したのは、一重にこの点にかかっている。いくら「黄金の夜明け」団のインペレーターになったところで、セカンド・オーダー内では一介の下級5=6に過ぎず、周囲が上級5=6ばかりでは推して知るべしであろう。

2. See, M.C.Flannery,Yeats and Magic(Gerrads Cross,Buckinghamshire: Collin Smythe), pp. 6-7.

主要著作 The Trembling of the Veil, T.Werner Laurie, London, 1922.: in Autobiographies, Macmillan, London, 1926, 1961.: pb., 1980.
A Vision, T.Werner Laurie, London, 1925.: Macmillan, London, 1937.: A Critical Edition of Yeats's A Vision (1925), ed. George Mills Harper and Walter K. Hood, Macmillan, London, 1978.:『幻想録』島津彬郎訳、パシフィカ、1978年。:『ヴィジョン』鈴木弘訳、北星堂、1978年。
Ideas of Good and Evil, A.H.Bullen, London, 1903.: in Essay and Introductions, Macmillan, London, 1961.『善悪の観念』山宮允訳、東雲堂、大正四年: 『善悪の観念』鈴木弘訳、北星堂、1974年。   
The Speckled Bird, ed.William H. O'donnell, Cuala Press, Dublin, 1974.
Memoirs, ed.Denis Donoghue, Macmillan, New York, 1972.


*magical and biographical works only.

参考文献 Bachchan, H.R.: W.B.Yeats and Occultism, Motilal Banarsidass, Delhi, 1965.
Flannery, M.C.: Yeats and Magic, Colin Smythe, Gerrads Cross, Buckinghamshire, 1977.
Foster, R.F.: W.B.Yeats, a Life I. The Apprentice Mage, Oxford University Press, 1997.
Harper, George Mills: Yeats's Golden Dawn, Macmillan, London, 1974.
Harper, George Mills (ed.): Yeats and the Occult, Macmillan, London, 1972.
Harper, George Mills etc (ed.): The Letters to Yeats, 2vols, Macmillan, London, 1977.
Masefield, John: Some Memories of W. B. Yeats, Cuala Press, Dublin, 1940.
Moore, Virginia: The Unicorn, Macmillan, New York, 1954.
Raine, Kathleen: Yeats, the Tarot and the Golden Dawn, Dolmen Press, Dublin, 1972.: revised, 1976.
Saddlemyer, Ann: Becoming George, the Life of Mrs W.B.Yeats, Oxford University Press, 2002.
Wade, Allan (ed.): The Letters of Yeats, Hart-Davis, London, 1954.: Macmillan, New York, 1955.

島津彬郎『W.B.イェイツとオカルティズム』平河出版社、1985年。


関連ファイル 魔術告白書簡 イエイツが魔術への決意を語る貴重資料。
ケルト計画書簡 古の神々蘇生法の一端。
魔術(1901) 詩人の魔術観を知る上で必須の資料。



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